信仰を持つ前の私は神の愛をまったく知りませんでした。ですからその行いはまことに自分勝手で、どれだけの人を傷つけてきたかと思うと時には死にたくなる時さえありました。しかしそんな時も、神は私を愛し続けてくださったことを知り、ある日、私はビジネスホテルの一室で、主にひざまずいてたったひとりの部屋でこれほど涙がでるものなのかというほどに、とめどなく流れる涙をもってイエス様の愛の前で悔い改めの祈りを捧げていました。その時から私はその神様の愛の恵みを受けその十字架によって罪ゆるされ、そのイエス様の流された血によって洗い清められ、主と共に生きる者とされたのです。そう思えた時、自分の悪い行いによって神様が悲しまれるようなことをするのはやめようと、ごく自然に思い行動できるようになったのです。それは“きまりを守る人生”から“イエス様の心に寄り添って生きる人生”へと変えられた瞬間でもありました。『あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。』(コリント人への手紙第Ⅱ-6章12節)。神があなたを制約と窮屈から解放してくださいます。それは十字架のイエス様によってどんな人にも与えられるものなのです。
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