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私が考える”宗教”って・・・。

2022-03-06 | つぶやき

突然だけど最近テーマがディープですw

まずは仏教。

仏教については、長年にわたり、断続的に思いを馳せてきました。

明らかに他の宗教とは異質で、生活に密着しすぎていて
わからないくらいになっている反面、死んだ人のことを
”仏(ほとけ)”って言ったりするそのセンスにグッとくる。

個人的に何かの宗教の信者になったことがありません。
でも、無宗教かっていうとそれも違うと思います。

たぶん、ほとんどの日本人がこんな感じなんだろうな~っと勝手に
思っていますが、たぶん私もそんな感じです。

なぜ無宗教ではないかというと、さすがに、誰かが死んだときに、
そのご遺体を生ごみとして捨てたり、適当にどこかに放置するなどの
ことが絶対にできないから!!!

なんらかのことで”埋葬”してあげたいし、花も添えたいし、
お祈りもしたいです。

そしてそれが1回きりじゃなく、命日にはお花をもって
”お墓”と呼べるその場所に弔いに出向きたいと思うからです。

こういうことをする以上は”無宗教”ではないと思います。

実家は、いわゆる葬式仏教で、仏教式のお葬式をします。

でも毎日お経を唱えたりしません。

瞑想の習慣や、仏教らしい”修行”もしていません。

でもお墓参りには年に何回か行きます。

お墓を管理しているお寺にはいわゆる”管理費用”としてお金を渡しています。

そんなところが日本人の大多数かと思います。

けれどもびっくりすることに、幼稚園はキリスト教団体が
運営している私立の所に通っていました。

なぜ幼稚園だけキリスト教!?っていう感じですが、
キリスト教を信仰していたわけではないのに
小さい頃は、日曜学校に行き、讃美歌を歌うか聖書を読むような行為を
小学校に上がってからもしばらく続けていました。

なのに、キリスト教徒ではなかったのです・・・。

親としては、子供預り所、みたいな意識しかなかったような気がします。

キリスト教はいろいろ催事が多くて楽しかったです。

演劇、合唱、キャンプ・・・。

なんとなく覚えているいろいろな催しに、小学校低学年まで参加していました。

でも、家族もその子供である私も、キリスト教徒じゃないなんて!!!

世界の人達からしたら、摩訶不思議な行為と言わざるを得ませんw

なんとなくクリスマスはそれっぽい行為をするのに、お正月にはお寺にお参りに行くのです。

クリスマスから約1週間で、急に神道や仏教的な行為をしてしまう日本人とは一体全体。

けれど、そんなことがなんとなく、レジャーとして行われて、季節の節目を感じつつ
春になると桜がきれいね~っと桜を見に出歩く。

桜教徒と言わんばかりに桜桜と大騒ぎしながら
お酒を外で飲み、桜餅おいしいし~っていうことで、緑茶と桜スイーツを嗜むお国。

3月はお人形さんと共にあられを食べ、5月はこいのぼりが上る国。

8月は敗戦国としてとてもつらい記憶を呼び起こされつつ、世界に向かって平和を叫ぶ日本民族。

10月になると意味も分からず仮装だけするハロウィンをレジャーとして楽しむ日本民族。

そしてまたクリスマスがやってきて、ケーキをとにかく手に入れるべく行列を作る日本民族。

でもやっぱりお正月だよね、といっておせちやお雑煮を食べる日本民族。

軸が、ない・・・。

あまりにも、テキトーすぎる・・・。

でも、誰も何とも思っていない。

何を信じようと、誰からも責められない自由が素敵。

さて。最初の仏教の話に戻します。

仏教って、繰り返しになりますが、他の宗教と明らかに異質な感じがします。

明らかにすごすぎると思う。いろんな発想。巨大すぎる体系。個性的な宗派。

鎌倉仏教の時代は民衆の心をつかむキャッチーでお気軽な仏教が栄えたり。

一部、コアな面々は山にこもり、瞑想し続けたり、
瞑想しすぎてそのまま”生き仏”になったり。

繰り返しになりますが、亡くなった方のことを
”ほとけ”って呼ぶのが好きです。

英語圏でもいろんな呼び方あると思うけど、それでも普通に
死体のことを”body”って普通に言うことに対して、
日本人としては、その露骨すぎる表現に違和感を感じずにはいられません。

亡くなった人の体を示す言葉として
「ご遺体」「ほとけ」と呼ぶ日本人の感性が好きです。

bodyというのは露骨すぎやしませんか。
たとえ事実そうでも、口にしたくないんですよっていう感覚です。

そういう意味でも、私は無宗教ではない気がします。

かといって、何々教の信者ですって堂々と言えない。

なんとなく、どっちかっていうと、仏教的な感じというか?
・・・としか言えないこの事実。

なぜなら、入信した覚えもないし、何か定期的なお布施をどこかにしている意識もない。

お墓を管理してもらっているので、その費用は払っているけど、
そのお寺に定期的に通ってない・・・。

でも年に何度も”お参り”はしていて、
別のとある場所では小銭の”お賽銭”はしていて、お守りも毎年買ってます。

でも、私、なんの信者なんだろ?

強いて言うなら、土地神様の信者なのかな?

地元の有名なとあるパワースポット的な場所にお参りに年に何度も行ってるし。

でも土地神様っていっても、一人じゃないし、たくさんの神々がいるし。

かといって、毎日のように神々に何かしているかというと何もしてないし。

なんと適当な信者なのだろう・・・。

小銭のお賽銭を年に数回するだけだなんて!!!

ごめんなさい。全部合わせても年に100円も払ってない・・・。(>_<。

そんな信者がどこにいますかっ!!

世界中の人たちをみてみなさい。みんな熱心にどこかに通って、
数々のルールも守って断食している人もいるんだよ?

自分は何々教徒ですって堂々と言ってるんだよ?

なんで日本人の多くはそれが言えないの?
っというより、それを意識もしてないの?

仏教なんてありとあらゆる生活様式、言葉、行事に入り込んでいて、
意識もできないんだよ?

でも、わたし、仏教徒ですって堂々と言えない。

年に合計しても100円以下のお布施って・・・。

そんなのお布施じゃない!

それでも、時々、瞑想じみた行為も突発的にしたりして。

毎朝、目を閉じながら、寒い冬は湯船につかっちゃったりしてるんだよ。

それこそ曹洞宗や臨済宗に続けと言わんばかりに、
湯船教なんていう宗派も自分ひとりだけで実行してるんだよ?

湯船教は、まず第一に、”お湯”をテーマにしていることが最大の特徴で、
湯船につかることはもちろん、つかりつつ、目を閉じて、頭を限りなく空っぽにする。
”お風呂瞑想”を推奨しています。

”お湯”を飲むことも推奨しています。
お湯や白湯っていうものに、特別な信仰心があるのです。

また”お湯”は心だけじゃなく、体も癒す、
さらには洗濯物もよく洗える最高のパワー素材として、
信仰するに値するものとして、全国の温泉地を神殿とし、
全国の神殿によく通うことでも知られます。

温泉という神からの贈り物を最高のパワー素材として、温泉に思いを馳せます。

でも温泉は貴重な素材。我慢して、家のお風呂で瞑想しますが、
その瞑想も、特に決まったルールはありません。

一つあるとすれば、お湯につかりながら、目をつむることです。

コアな信者は、それに加えて、お湯を風呂に持ち込み、
お湯を飲みながら、湯船で瞑想したりします。

ここまでくると、これはもう立派な湯船教徒として、お湯の神々から、
”印”こそないけれど、”心身ともに健康”、という無形の財産を与えられます。

何かの記念コインや記念バッジ、階級が上がるなどのことは一切ありません。

湯船教は、入信のための審査も儀式もありません。

もちろん誰かに対する直接的な”お布施”もありません。

水道代や電気代や温泉利用料金がちょっとかかるくらいのものです。

日本人であれば誰もが実践できる、曹洞宗もさながらの、
まさに実践ありきのお湯信仰なのです。

いまでこそ、ふんだんに触れられる、”お湯”、ですが、
これは本来とても貴重なものです。

ポットからお湯がすぐ出てくる。
これはまさに奇跡的といっても過言ではないのです。

湯船に至ってはどうでしょうか。

おそらく日本人だけがこの贅沢を普通に享受でき、
ふんだんなお湯の入った大きな桶に全身裸でいつでも入れるという、
魔法のような存在です。

水自体が貴重な国もあるのです。

それがさらに”お湯”ともなると、その存在感は至高です。神です。

お湯は神です!!!

っということで、自分で作った仏教的な宗派として、
私は”湯船教”を信仰している毎日と言えましょう。

「何教の信者なの?」って言われたら・・・。

「湯船教。仏教の曹洞宗から派生した仏教の一種。”お湯”を信仰しているの。」

こう、言いたい!!!

ちなみに、教祖はいません。

常に信じたら、それだけで信者であり、信者そのものが主役なのです。
師匠や弟子などのヒエラルキーはありません。

達磨大師のように、瞑想を追求している一面もあるため、
ひたすらお湯を瞑想と共に探求する系統の、仏教の一派です。

温泉地とお風呂屋さんが神殿とも言えるので、すでにあっちこっちに神殿があり、
日本家屋でお風呂場と湯船があれば、自宅にも神殿があると言えます。

湯船教信者にとっては、日本はまさにパラダイスといえましょう!

ちなみに、余談ですが、日本人は無意識の湯船教信者がとても多いと感じており、
一見無宗教に見える日本人も、お風呂や温泉やサウナの類に
めっぽうのめり込んでいる人が多数いることも、この宗派の稀有な特徴でもあります。

もしかしたら、あなたも、無意識に”お湯”を信仰しているのかもしれません。

”お湯”がなくなったら、日本人の魂が死んでしまう。

そんな気がします。

夜も朝も湯船に入っている、信心深い、今日この頃です。
o(^-^)o

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