「仕事」は、している。
ただ、それを採用するかしないか?は、現場の責任にはなる。
自分は”自分の範囲”しか、それらを適用する事は出来ない。
意識か理解、その問題としては一応、”雅”市場、大賀さん、それらによる影響下、その社会システムとしては「切り捨ては発生しない」から、意識は”原因の方”に行く事には成る。その結果として。
「ウィザードが、怪しい事をしてます」
という事には成っていく、訳だが。
現状、「飯塚幸三」と言う人物が、問題にしてる「ウィザード」では無いか?という感覚は、少し重くは成って来ている。どっちに責任が?と言う問題は混沌だが、ともかく「ユダヤ教の王」それはもう居ない時、事態の問題、その向き先としては一つ、明確さは有るし、そして、何かの「影響」それも不意に感じない事も、無い。
OP画の更新を、なんでか止める?事は出来た訳だが。
当然と言うか、”ここ”と、飯塚幸三氏、どっち?と言う問いは、主観的には愚問だ。
相手が例え、酷いひき逃げ事故を起こし二人を殺し数多の重軽症者を産んだ、そんな犯罪者であるとしても、だ。
意識はしていく感じはある、人を二人殺した事など、彼らには大した問題に成らない感覚。元々経済学では切り捨て、「リストラは前提」なのだ。官僚は”それ”を執行するに過ぎない、その結果として末端でどれだけの人が職を失おうと、それは結論で言えば成果でしかない訳で。
そしてその果てに、飯塚幸三氏は、あの事故を起こした事に成る訳だ。
今も尚、同意?理解、そう言うのは得られないと言うか、「それは私の管轄では無い」と言うか、そう言う返答と言うか?それは重くある。
「お金は何処から持ってくるんです?」
一歩100円を要求するのは良いけど。
それに対しての返答は無い、その結果、その先で、彼はあの事故を起こしている。
社会システムの欠陥の様なモノだ、昭和天皇が居なくなったらもう立ち行かない、そんな昭和を継続しようとした、世間全てに責任はある、そう言う言い方もある。その時、昭和天皇を”知って”いる、その最上位の存在に何かの意識が集う、それは道理かもしれず、そして、それが原因で歪んだ、そう言うのも当たり前と言うか、本人の責任とも言えないのかもしれない。
とは言え、そこが事故を起こし二人を殺した、それは結果として重い話。
そこはもう、頼りに成らないのだ。責任を”取って”貰う、それを要求?するしかない状況だ。彼はもう、単なる老人に過ぎないのだ、問題は、90歳を超えた犯罪者を、数年か投獄するコストが、それに見合うか否かだけだ。
とは言うが、「ユダヤ教の王」だろうか、ともかく平成30年を支配したタブー、それはまだ重い。
王の権威それは、前に出してはいけない。
世界が滅んでしまうぞ。
「信用」される人々の中で発生した、「本人らは判断できない」そんな遺言は、今もまだ有効ではある。
使用イメージ
https://publicdomainq.net/victor-gabriel-gilbert-0056210/
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10657836