不意に疑問は沸く、「お金になる脚本」と言うのは果たして、ではある。
「自分が書け」と言う話の後で、そこに出来ていくモノはしかし、単なる趣味だ。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
趣味と市場の境目にあるモノを前にして選択とは
ともかくちょっと、「進撃の巨人」その問題を考えつつ、やっぱりリメイク的なネタに踏み込んでいってしまった。空気だけなら「鬼滅の刃」並みに世界的なヒットをした作品、だが。実感的には失敗作に近い雰囲気でもあって、当時でなくても自分は微妙に受け付けなかった、しかし。何か理由はあるだろう、ともかくシチュエーションを考えていくとテーマの「人間を舐めるな」脅威へ立ち向かうっていう部分は、もちろんかテンプレでさえある訳で。
売り言葉に買い言葉、的に自分なりの補正案が纏まっていく…それはまあいい。
問題は”それ”が、単なるテンプレに陥っていく、というそこではある。「進撃の巨人」が求めたのはこう、もっとなんというか。
じゃないのか?
兎も角趣味で、リテイク案みたいなのを構築していく、が。不意に「お金は取れない」雰囲気に陥ったりもする。
話は要するに、太古の戦争によって残った遺物、その因果的な暴走、ではある。
数世紀前の文明”それ”は最終兵器として「巨人」を生み出したが。それが本格的に発動する前に、核爆発的な帰結で戦争は終結、文明は滅んでしまった。放射能汚染その他、人類はそれまでに構築されていた巨壁の内側でしか生活できなくなり、文明の再構築もままならない中、それでも細々と、数世紀が過ぎていく。しかし事態はより悪化していく、ある日、その地下に残った「巨人の生産施設」から生み出された「巨人」らが地上へと現れ、人類を敵と認識して攻めてきた、のだ。人類は後退した文明の中、”それ”との戦争を余儀なくされて行った。
という変更?までは割とノリの良さはあるがこの先で、テーマがどうしても「人間の怖さ」そこに踏み込んでいく是非、ではあって。
結局、巨人を生み出したのは人間のそれである。人類は”それ”の負債を自力で返済する事を求められている、訳だがしかし。人間である限りは邪もまたそこにはある。巨人の秘密?それを掴んだ奴がその力を逆に用いて事態の打開と、そして自身の野心の具現を目指した。新たなる世界の王に私は成る!それに対して。
テンプレである。
主人公は?そんな「上位」の権力その愚行に、親を巨人に殺された憤りをぶつけていく事に成る訳だが。このパターン、今までどれだけ繰り返されただろう?と思うと、本来のオーダー?或いは当時に求めた未来…それとは、大分違う物であるのは間違いなく。是非はある、確実性を求めるのが自身の方向性に成っている現状、どうしても「わかるわかる」で終わってしまう。タイトルを見た瞬間に話は終わっている、「それ以上は存在しない」と言うような、表現では「小さく」纏めてしまう感じが。そのまま、「5年ぶりだな…巨人よ・・・!」と、原作の冒頭までちょっと書き進んで、それが微妙にお金が取れないモノな様な、そんな気分にはふいに、なったりした。
勝手に考えていて何言ってんのか解らないが、面白くない訳でもない、気はする。
冒頭、主人公その幼少期の回想から始まる。巨大な壁の中で遊んでいる子供ら、眼下では立体機動装置を用いた軍隊が訓練をしている。漠然とした何かはしかしその日、突如暗黒へ変わった。5年の月日の後、主人公らは成長し、立体起動装置を用いる軍隊の一員に成っていた。5年前の巨人の襲撃の際に、彼らの殆どは親を失っていた。悪夢と、そして現実の困窮と人々は戦う中で、しかしやがて、再び巨人の襲撃が始まる。壁を破壊せんと押し寄せる巨人、その一体は主人公の父を殺した、あの巨人だった…。
”この”冒頭から、ラストの「権力者が巨人と一体化して、力に溺れ発狂していくそれへ、怒気と共に挑む主人公」と言うその帰結は、オチとして妥当であろうか?もちろん冒頭の一部分にすぎないのだが…。
これ「進撃の巨人」か?と、不意に疑問には成る。後は、原作から多分、適当にエピソードをピックアップしてまとめていく感じに成る訳だが、この先で主人公側の「巨人化」も、想定では許容も出てくる、人間の怖さ?的な一面、他に選択肢が無ければ手段である、と。
脚本家は或いは、“この”…なんというか高揚?的な感覚を肯定できなければ出来ない仕事、かもしれない。
芦原氏の不幸は、”それ”が死ぬほど容認できなかった事、だったろうか。