それは、一つの変化を見ても良いのだろうか。
理不尽なBANに対して、”何か”が「抑止効果を持った」訳だ。”それ”により、理不尽な権利の侵害は拒否された?と言う事は。不当な事をしてない限りは、権利は守られる、そう言う状況である…
…それは、言って良い物か。
現状でも、最低帯域は解る。表示を「通信速度は最低100Kb。最大200Mb」とか書けば済む話だが、その最低速度なら?逆に言えば「それ以下には成らない」訳だ。サイト或いはソフトを構築する場合、”そこ”を考慮して構成する事で、安定は提供できる(最低環境で最低限の処理は確実にこなせるなら、負荷は我慢出来る)。その最低帯域なら?どれだけ混雑しても良い、訳だ。”ここ”なら、集客性がシステムに負荷を掛けない、それを”利益”に変える事が可能になる。
…しかし、Youtubeは一時とは言え、「止められた」のだが。
「止められた」理由はなんで、復旧した理由は何だったのか?そこは重大な、話。「ショートサーキット出張動画版」が都合の悪い存在が、最終手段的に「切ろう」としたが。「それは不当である」事から、止められた。その存在にはその瞬間、「加害が発生した」訳だ。それを抑制する倫理の方が、その時、その邪より上位に有る訳だが。
ともかく、この「自分に都合の悪い奴を不当に止める」パワーがある限りは、インターネットに価値は発生しないだろう、利益性は得られない。逆に?ここで「不当に止める事が出来なかった」のなら?それは、インターネットが(ブロードバンドが)自由な発表の場として意味がある、そう言う事でもある。当初のオーダーに準ずる部分が、インターネットに無い訳では無く、”そこ”まで今まで、何かのパワーが及んでは居たが。
…断言できる材料はまだ、無い。
インターネットが利益性を得る為に、何をせねば成らないか?簡単に言えば「ショートサーキット出張動画版」みたいな作品?を、掲載し続ける事、だ。良くも悪くも「労働の結果」として有る、そう言う作品。カウンタ数値が怪しい、それはテレビに関しても宿命の様な物ではあって、そもそも「カウンタ数値で価値を判断する」それは好ましくもないのではあるまいか。対価は、その成果報酬的に現れるのだ。ニコニコ動画に掲載しているイラスト等などを、同人会場で客が買う理由ではあって。一度見た物をなぜ?それは、対価は払わねばならないから、だ。お代は見てから、それが効かないと、この市場は維持出来ないが。
…しかしそれにしても、”ここ”にある根幹の疑念は…何時から、始まったのだろう(-_-;)。