あげちうのブロマガ

正論と正義と神判とその敵

男女無関係に、”その人”は今、「反逆者」のようです。

故にそれを助けようとするのなら、あなたもまた反逆者になります。

古いゲーム、「魔界村」が、steamで安かったんで購入、少し?遊んでいて、不意に難易度以外の「壁」を感じた、訳だがその後に、そこに有った返答、ではある。昔のゲームだろうと何だろうと、当然か、その作者の倫理観というか、それによって雰囲気の様な物はある訳で。

「難しいからって簡単に諦めていたら、何も始まらない」

自分の作った「美鶴さんの長い妄想」そのヌルゲーっぷりに対して、少し思案する何かではある。

単刀直入に言ってこのゲーム、あの「アルカディアでの成功」それを目指す、というニュアンスがあり。という場合、例えばそういう命題がある場合の、それが「難しい」場合の対応として正解は何か?ではある。ともかく当時の状況で考えた場合?状況は劣勢で、装備は貧弱で、敵は異様と言っていい勢力で、援軍もまた、ない。一般論だろう、「難しい」それを前にして、まず前の一言は、それに対して待ったはする。

・・・しかし、その環境の王は、「どうすれば勝てますか?」に、精神論しか持ち出さないのだ。自分にできない事を現場に要求しないでほしい、それは現実としては或いは。

この困難に、”現場”は挑むべき、だろうか。

 

正直?今前に有る人々は、或いは会社は、”この”困難を乗り越えた先にこそある、気もする。逆に「無理だ」で辞めちゃう、また客に要求もしないそれは、何かの劣勢に陥り消えていく、雰囲気もある。すべては「アルカディア」このゲームハードを救済したかその気があったか?でしかないのだろうか。バンダイは当時、唯一「自社開発ソフト」を出してるサードパーティだった、というし。「魔界村」を創ったカプコンは今も、第一線のメーカーではある。”この”ゲームは万人受けとはとても言えない難易度でありつつも、長い事愛されてるシリーズだ。対して、タイトーのゲームは多く、「お金が無いなら遊ばなくていいよ」返答はシンプル。

という想定を前にして、なんとなく「駄目です」自身に不意にある抑止、その是非ではある。

当時の「アルカディア」その環境、その運営者、”それ”を救済する必要は、無い。

”あれ”を突破する事は無理だ、それはふいに、正論として、そこにある壁だ。

 

当時のアルカディアを成功させようとする際の難易度として、「魔界村」それは妥当、ではある。そして?”それ”である限り、”この”ゲームをクリアする、という事は「この環境でも頑張ればなんとか!」と、現場に要求する事にもなる、様な気はする。是非ではある…何のためにゲームにはグラフィック、音楽、演出、そういう「価値」を投入するのか?だ。困難を前にして、プレイヤーの非力さを補うため、だ。当時投入できた”それら”は、今考えれば貧弱も良い所だ。そしてそれらを背にして、プレイヤーが使える武器、そういう感覚も変わってくる。

開発言語は?コード直打ち?キャラデザインは?方眼紙からデータ化しろ?

上の人間が本当にそれしか用意しなかった環境で、何が出来たのだろう。

 

ともかくもちろん今、統一教会は窮地、ではある。想定が正しい、時。今、前にあるゲーム会社の多く等々は、意外なほどに「彼ら」に恩のようなものが有ったりするのかもしれない、彼ら統一教会はふいに「認める」そういう権利を有していた、訳で。今、その権利は「アルカディア」その物に移動した、彼らは持ってない、としても。古いゲームは以前と変わらず、”彼ら”を救済しようとする、のかもしれない。

まあ。

「難しくて無理」を言いたいだけなのに、言い訳めいてしまうのは、プライドのようなモノ、だろうか。

今「魔界村」のようなそれを作ったら、なんとなく違う物になる、気もする。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事