昭和の頃の「正義回路」それは、結局は天皇陛下へと通じていた。
”それ”が娯楽の領域に意識を残す結果、”彼へ”末端の声が届いてた訳だ。
”それ”は、昭和天皇の崩御と共に、何かの破綻を見せる事になった訳で。
最近、「資本論」それが、改訂?というか、「再構築」再検証、みたいな事をされて、新たに出版された、という話があって。昨夜の「ブロブ」の話も、その結果かもしれない。「それはおかしい」帰結として、何かの異相が今は発生している、そういうのはあるかも。
そういえばこの映画、テーマ的に言えば、「上の人間の暴走が末端を破綻させている!」のだが、それに対して打開が無い、というのが?まあ問題と言えば、そうだ。昭和の頃はか、10代くらいの領域には「これは漫画だ」という大前提があったが、それが平成で不意に消えていた…という事、だろうか。
その「上の人間」とは、間違いなくこの作品としては「作者」である。
「それは違う」結局は、”そんな作者の声”が、この作品の評価を大分、下げてる訳だ。
感覚は少し、変わっていく気もする。
年齢だけでも、”上”になった際、「末端に起こる問題は全て上の責任」というそれは要求されてしまう、年相応の責任は当然、背負わされる訳だ。さらに何かの「成功」を背にするならより多くの”それ”は必然として乗る。その時、その映画の展開それは、あまりにも何というか、無責任だ、と。
人々の環境が崩壊していく様を、あなたは面白がっているのか?
何というか、道理と理不尽が同居して、何かの軋轢と共にはある。
現実、自分の主観としてこの「ブロブ」みたいな状況は、感覚論で今、少しリアリティがある、あの「統一教会」その台頭と現状だ。知らないうちに増殖し、広がっていった”それ”に飲み込まれていく人々と環境、なぜこんな事に?だから、というのもあったかもしれない。”それ”への打開としてこれで良いのか?”都合よく”そこに有った液体窒素でこの怪物は止められたのか、そこに考えるとリアリティがない。
そう、確かに始まった”最初に”それを使えれば、こんな破綻にはならない訳だ。なぜそうしなかった?
それじゃ面白くないでしょう。
貴方は現実の環境が破綻していく様を、面白いと思っているのか?
返答を用意しておく方がおかしいのか、考えてない方が低レベルなのか?それは悩むところだ。
確かに言い出したらキリがない、あらゆる点でか「なんで?」が破綻しては行く。カルトの増殖その比喩、として、ではそれを止める術は”これ”で良いのか?液体窒素その比喩とは何か。現実に存在し、しかし増殖、破綻していく”それ”を前に、「打開は?!」が用意されてない不安は、「漫画だから」で済む問題じゃない、ヒットラーは実際に居て、ホロコーストも現実に起こった話だ。求められるのは、それをどうやったら起こさずに済むか?ではあり。
結論で言うと液体窒素での打開は、現実的じゃないのだろう。そういえば、ターミネーター2でも、”それ”は決定打に成らなかった。際立った冷水を浴びせるくらいでは、そういうのは消せないモノではある、確かに。
何故こんな事が始まって、こんな事が起こって、ここまで被害が広がっているのに打開が無く、それを都合よくあったタンクローリー一台、その量の液体窒素でどうにかし得るのか?
・・・こんな事を今言い始めるのは、作者が、”それ”を起こしうる場所に居る、という事だろうか?自分の胸先三寸でこれは現実になるんだ、我を恐れよ人類!実は、そんな感じだったか?
”それ”を可能にした足場は、今は果たして。