その二つの労苦的には、同じような作業内容、かもしれない。
ただ、象徴とリアルとでは、やっぱりそこにあるモノは少し違う、そう言う事だろうか。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
猫に癒しを求める人々は、そこに何を見ているのか
幸いと言うか、「ダークソウル3」ようやく”毒”が抜けてきた、感じはあって、何とか不快感は消えた、気はする。ただ不快感が消えても難易度が変わってないそれは、果たしてと言う、そこは深刻な議題としてはある。
要するにか、映画「火垂るの墓」あの主人公の、男性キャラなら兄の、女性キャラなら妹の?「ああいう人物像」をプレイヤーキャラにイメージ出来ればまだ、「頑張る」事は道理として通る、通った、そう言う感じではある訳で。
未公開、なのかそれともではあるが「美鶴さんの長い妄想」の本編「破魔師 ~美鶴の初仕事~」の方に登場する斬武と沙羅という不幸に死んだ兄妹、色々ツッコミしつつもやがて、その辺の救済、というのはテーマ的には合致した、様だ。理解か、宗教感の問題ではある。彼らが現世に戻る為には、その身に起きた不幸、そう言う物に対する対抗手段、能力それが必要、だ。打開出来なければ彼らは現世に戻っても、同じような不幸に遭遇しかねない。それを悪夢の中で打開する上での助力をプレイヤーはしている…事にはなる。ともかくそう考えれば?「プレイヤーキャラはあなたに害を成した人物です、その人物の苦境を打開する手助けをしましょう」と言う理不尽、それは消えるし、そして安定もする。
「ゲームってそんな事考えないとあかんの?」
そこまでするからこそ某社の発展はあるのです、が。いや全く、それが逆に災いしてか、何かの悪霊みたいなのが3D領域には宿ってしまっていた?という、それはあるのかも。しかし、そこで逆の問題もある。
そうなるとやっぱり、「クリアは求められる」訳だ。
気持ちは軽くなった、にも拘わらず、眼前の巨木は相変わらずでかい尻である。
ちょうど時期の問題でもある。難易度を考えると、「100tの玉砂利を猫車一台で100m先に運んでくれ」に、近い話かもしれない、が。約2000回の往復、一日に50回と仮定しても40日は必要?というその理不尽な要求には「ブルドーザー使うとかねーのか?!」は思う、しかし。「200haの田植えを一人でやってくれ、田植え機は使って良い」と言う条件が、実際にはほぼこれに等しい難易度?かもしれない。
1ha約1時間、一日6時間前後、なら30日前後必要、これに対して「10倍以上の田植え能力が有る機械は無いのか?!」それは、現状は無い。前者の想定は単なる嫌がらせだが、後者の想定は現実の現場ではある。体感論でも実際にも、米農家、というのはそのくらいを一人で管理する、様な感じじゃないと今は「儲かる」イメージには届かない。自由市場の帰結ではあり、それその物に何かの深刻な問題、改善への期待それはある、が。機械化の弊害、その機械代の高さは、現場に更なる苦役を強いている、それは深刻に重い。
出来る訳ねーだろう。
その一般論?と現場の現実とには、かなりの乖離は有るのだった。
ともかく良くも悪くも、「ゲーム」としてはやはり、まだ温情のある内容ではある。猫車で2000回往復すれば?話は終わるのだ、有るのは忍耐かそう言う物でしかない。向き不向きと言う観点で言えば、個人的には画期的なゲームの3Dエンジンを造って?の方が頑張れるが、もちろんかそれは一般的ではなく、「出来ませんでした」は可能性としては。調査、学習、研究、試行錯誤の末に”それ”が出来る様は一つの感動ではある…のだが。ただ後者のその達成は、現場に更なる苦境を呼ぶ、かもしれないとしたら、それも考え物だったりはするのかも。
今までの10倍の効率で植えられる田植え機が開発されました!時、その先に有るのは「では一人で2000ha管理できるという事だな?」と、そう言う事にも成りかねないのだった。
「優秀」への要求、と言うのは少し、考えるべき議題なのかもしれない。
ともかく現状は、100tの玉砂利を倒すのに、猫車一台しか使えないのだった。
ふぁっく。