既に大晦日が近いと言うのに、何だか意識の中は、「敵」を探している感じはある。
「後は大賀さんに任せる」理屈の上での正論はしかし、現実の感情論の前では無意味さはある。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力
選ばれし異端の子はしかし、その先の現実をまだ知る由もない・・・
意味が有るのか無いのか、アーケードゲームとして金字塔でさえある「グラディウス」は、その「”作者”の椅子に座ってた人」は。しかし”その”席の責務かに耐えられずに暴走して数多の損害を出した、結果。それは「本来の後継者に返還された」ともかく結果、事態の物理的な問題は沈静化した…的な?事を、不意に就寝中の意識は語り出したりはした、が。
最悪、形而上の出来事だ、としても。形而下の状況は…そんなに大した変化はまだ、無い。
なんにせよ、今は徹底的にある「役立たず」その、奈落の話だ。その理解から言えば上の話もリアリティ、ではある。今の「アートスケール」から言っても、アーケードゲームで90点台を出してるゲームはグラディウスしかなく、確かにスペースインベーダーが始祖だとしても、ゲーム性、そう言うのを考えるとまだ、グラディウスが最上位、ではあり。”その”作者に要求される「先生」としての責務はしかし、「同じように売れるゲームを、どうやって創る?」その提示ではある訳だが。それが上手く行くのなら、コナミは平成に入ってゲームから離れたりしない…そう言う話はある。グラディウスはあらゆる媒体に移植された、事も状況の悪化だった、ろうか。多分、作者?本人は別にアーケードゲームに拘ってない、のだ。受ければどこでもいいみたいな絵は有ってもしかし。その権威はやっぱりアーケードゲーム、”それ”を足場にしていた、事にはなる。
結論で言うと、それは物理的に無理、だ。昭和なら王の権威、その要求を満たす事で利益になった”それ”は。昭和天皇が居なくなった後はもう、利益の根拠を失って、後は失敗作を続ける事には成った訳で。元々、ゼビウスからの或いはインスパイア?ではある。”失敗作”を徹底的に叩いて、その中から「本来のオーダー的なモノ」を掘り出す。しかし、グラディウスだって完璧に本来のオーダーを満たした訳じゃないのだ、単に作品としてはクオリティが高かった、だけで。様々な事情で「作者」は誰か?が明確化しない、のも一つの幸運だった、ろう。ただそれでも、「誰が創ったのか?」それはそこに残る事には成った訳で、今までの方法論?では。
でもその人は、王の権威じゃないのだ。
全て、「鉄血のオルフェンズは、ドルメンガンダムが元ネタです」レベルの話、ではある。今は「ストリード」その連携と言う形で、その「作者が解らない」状態を意図的に作り出せる、が。昭和の頃にしろそう言うのは無く、「私が神様です」それを、”誰か”が言う事には成った。昭和の頃は昭和天皇が全てを引き受けて状況的にも問題は無かった、が。それでも結果でか、皇室は深刻なストレスに晒され、様々問題が起きた、という現実は次の事態を産む原理となった、だろう。平成に入り”それ”は民間に降りていて、しかしその結果、それまでの「作者」を名乗っていた人々は意識的な恐慌に陥っていった…という事かもしれない。
売れない。
ともかくその後遺症的に、平成で「作者」を名乗った多くはしかし、不可解な壁の前で総じて、潰えていく事に成った…これは、その最後、だろうか?
過失とその反発か、或いは昭和、平成の「アメリカ主体の倫理観」故、だろうか。民主主義は護らねば成らない、その時、”少々の犠牲”はコラテラルダメージとして無視していい。「理想の民主主義」に反するモノは排除していい、経済とは雀荘である、以下略。現状が+1+3+4+2-10=±0、という時。「なんで+1があるんだ?」4+4+2-10=±0、で良いだろう?を続けてしまう、のが「発展」と言う理解の先で、世界は「つまり0で良いって事では?」に陥っていって、自滅的な経済を続ける事になった、という絵はある。この「現実を構成する数値」は実は、多いほどいい、みたいな絵は実はある。その数値分だけ人はそこに座れる、そう言う感じで。「無駄な事」や、「その視点では無意味な事」に、必要性を見出してむしろ加えていく、方が経済の発展には貢献する、それはでも。逆に80億個の数値を再計算する面倒さ、の前に既に、人間の手に負える物ではなくなっている、かも。
アーケードゲームは今、どれだけ重要?なのだろうか。或いは、これが最後だ、そう言う結果は望まれるのだが。
※本年の更新は本日が最後です。皆さま良いお年を。来年は1月3日からの再開を予定しております。