”それ”を許容できない、というそれは多く、歴史的背景を背負う。
気はする。つまりその歴史に問題がある時、そこへの道は無い、そういう事かも。
不意に、だろうか。状況だろうか?相変わらず「お金が無い」その深刻さは増している?気はする。ただ、何処かからの施しが有ればいい、訳じゃないのだ、何かの歌にもある、お金欲しいのでも別に要らないの。その先にあるのが、何かの窮乏する国家、その現状ではある。
仕事がない。
人力発電機とか?いや、そういうのは、ちょっと。
自分の感覚は、今の把握では現状、ロシア寄り、ではある。だからか、ロシアが強引に、ロシアの主張としては勝者の権利のようなそれとして、併合したウクライナ4地区の内情、その改善を、という様な話が議題に上がっている…という事、だろうか。
そこに、歴史の経緯がある。
ともかく現在、この地で「人本位制」の話が出来ない。
まず農業国が、近代化農業を入れてしまう結果、「少人数での大規模栽培」が可能になった、時。それはつまり「今まで100人での作業が10人くらいで出来るようになった」訳だ、この時点で農業従事者は、9割が失業した。そして?それは同時に穀物価格の下落も招く、少人数が生きていけるだけ、まで販売価格が、利益が下げられる時。産業としてはどんどんと小さくなっていく、事にも成る訳だ。つまり農業では、国家人口の1割も養う事が出来ない状況に陥った、という事にはなる?その上だ、原子力発電を数多く導入する先で、”それ”に依存していく体制が出来ていく、時。「他の発電への許容」容認が無くなる?火力発電、太陽光、その一つにしたい「人力発電所」それが、この地区では不意に、否定されている。
ウクライナは、農業国である。その9割近くの国民に仕事がない?様な状態で、人力発電機の存在は…ちょっと無意味ではある、らしい。
「人本位制」では、人の労働力を何とかお金に換えてから話は始まる、のだ。その時、「人力発電機」その感覚は大事だ、が。”それ”が「無意味だ」という時、「単純な労働力」をお金に換えられない、という事に。
そして自身の感覚には、その先の「仕事」に、どうも理解が無い。
なので、意味があるのか無いのか、ちょっと解らない。
「職能ランク制度」というのを、少し考える。「希望する国民の職能に応じて、ランクを設定し、職場と最低賃金を保証する」というニュアンス。具体的にはまず、”この”制度下に入る事業者を用意する。そして、参加する国民の職能に応じてランクを設定し、それらの事業者が彼らを雇用する。この際に、まず職能ランクによって「賃金が固定されている」、支払い時に不足する分は国が補填する事になる。結果で雇い続ける事は出来るようにしつつ、逆に職能への向上意欲を持ってもらい、全体のスキル向上も目指す。
ただ?補填した金額が一定額を超えれば国の監査が入り、回復の見込みがないなら国の主導で根本的な解決を要求する、場合によっては廃業もあり得る。補填額は納税額によって減額される、事業が利益を上げていれば、国が補填する必要は無い、訳だ。職能ランクは査定機関により改訂され続け、国は参加してる国民全てへ仕事が存在し続ける様に、事業者の育成に力を入れねばならない。
半国営、みたいな企業をいっぱい作る、訳だ。ともかく職能ランクを持っているなら、”その”国民分の仕事は存在する、様にしておく必要がある、どんな形であれ。会社が潰れても、職能ランクさえあれば、仕事がないという状態は無い、みたいなのは、構築出来るのだろうか?
私の職能ランクはBなんですよ?時給3000円程度の給料は権利だし、その仕事は何処?それを用意するのが国の仕事でしょう?
とかいう文句に対処するのが国の仕事にはなる、訳だが。
「資格がそのまま給与に直結する」というニュアンスではある、それは日本ではあまり意味のない話?だが、国が財政破綻している、という様な場合には、大きな改革として意味はあるのかも、しれないが。
流石に、ちょっと不透明だ。