あげちうのブロマガ

漫画が不意に漫画じゃない時

個人的には、か、理解としては「売れる作品」に思想誘導性は要らない。

それでも”それ”が無い時、その作品は或いは、誤解の温床には成るのかもしれない。

現状、「ガンダム」への、制作側?での要求というか衝動というか、とにかく「”神”を制御する」という意識がかなりの部分を占めている、という問題は結構以前から思う事、ではある。そういう懸念を前にして、今の「機動戦士ガンダム 水星の魔女」のOPには、自由を目指すかのような歌詞があって、そこに不意に分厚いかの否定。

良く?考えれば、というか殆どの感想?からして、パイロットとガンダムとのシンクロ、みたいな歌ではあるのだがしかし。物がガンダムであるが故に、そこには今だに続く面倒への不安は、ある。自分の説明で言えば「ガンダム」とは「紛争解決機構」だ。それの決定は人のそれを超えた上位のそれとしてあり逆らえない、”それ”に対して、主人公は乗り込み、その思いを遂げようとする?訳で。歌はさらにそれを、「ガンダムが」肯定し祝福していく、そんな感じに?

という訳で、その時、その主人公の女性、それを中心にした、いや「神」にした独裁体制、それが誕生する、事には成る訳だが。

そこにある奇妙な感動?と、古いというか、歪んだというか、そんな不安が、妙な衝突はしている。

マクロ?初期構想的なそれで考えれば、「主人公とは何?」だ。それが「視聴者」大衆、その帰結としてあるなら、”その”自由こそが目指す未来ではある、訳だ。戦争のない世界を創る「機械」願いを託された”それ”に対して、主人公がそれに同期し願い、そして”相手”もまた同調していく、パイロットの願いを叶える為に。ここまでは、いい、ただ、この先で描いていくのは、「あくまでも漫画」ではある。

「漫画として面白い」帰結を目指す時、それは必ずしも、”実際の結果”とは同期しないのだ。

過去の数多の失敗?は、その「これは漫画だから」を選べなかった、そこにこそ実はある、のでは。

「漫画は現実じゃない」のだ、数多の奇跡的な可能性それが具現化した”世界”の「一枚の絵」に過ぎないのだが。テンションの高まりもそうだし、その先で具現化した場合にある可能性、それに歪む願望、欲望もまた、それを否定し始める。そして作者はその「これ現実ですよねそうなんですよね主人公誰ですか主役機どこですか?」を前に否定し切れなくなって・・・或いはそれはまだ良識的だ、そこで作品を「破壊」してしまう。というのが今までの大チョンボ、という奴の正体かもしれない訳だが。

そういう事態への対策を、或いは実際は「あえてしない」という、そんなカルト的な病理がある、訳で。

願っているのは、予言になる物語だ、いや預言だ、それに描いた事を具現化する為に人々は未来を目指さねば成らない!「それを描いたのは(ともかく制御し得る権限を持っているのは)私だ」つまり、人類は全て私に従わねばならない、我こそが神。ある種の発狂その先にあるのは、そんな或いはカリスマと呼ばれる狂人ではある。狂うまでは、相手の全ては正しい、その先には?人類を奈落へといざなう悪魔が笑っている。

「鉄血のオルフェンズ」にしろ、昔からか、ガンダムは”それ”を否定、回避し続ける作品なのだが。

欲望の先は、果たして。

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