今もまだ、何かの窮乏感?危機感が襲ってくる事は多い。
昭和の頃の様な、あの奇妙な「不安の無さ」と言う、それは今も、まだ無い。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
閉じてしまったシャッターが、再び開く日は来るのか・・・。
ある種、今だと信じられない感覚、だろうか。何故か「仕事は幾らでもある」選ばなければそれを。当時の自分らは?疑う事は無かった。探しに行けばどうにでもなるし、そしてそれは現実ではあって。就職、という視点では良い感じの無い自分ではあるが。ともかく「職場が無い」それは、何故か不安に感じた事は無かった。
”それ”が変わってくるのはもちろんか、2000年以降、ではある。リアルな不景気、それが始まっている中で何故か、「イザナミ景気」記録上は(或いは調査条件で)日本最長の好景気、というそれはでも、一部には全く実感のない悪夢の時代でしか無かった。視野範囲では次々と店は畳まれ、ゲームセンターも衰退し始める。会社の倒産も増えていくのに、何故か景気だけは良い?みたいな話がメディアを連日賑わせていた…それは、あのバブルの頃にも近い話で、結論で言えば単純に再びかのバブルだった、それでしか無かった、訳だが。
この辺から、「仕事がない」それは、ひしひしと感じ始める事には成る訳だが。
インターネットの発達も、これには拍車をかけていく。見ていてわかる「合理化」は、レンタルビデオも音楽も、小売店も、インターネットカフェさえもだ、次々と飲み込んでいく事には成った。儲かってる話はアメリカのGAFAくらいにしかなく、他は間違いなくお寒い状況で、それでもメディアは「好景気だ!」と、言い張り続けて現状ではある。その間に、自分らの世代?かは、「パラサイトシングル」それに代表されるメディアのレッテルに苛まれる事には成る…しかし。今になると逆に、理由の様な物も感じ始める訳だが。
彼等には「その先がない」のだ。そのまま一人、両親が死んだ後も、ずっとそのまま?な、そんな悪夢は或いは、上の世代にとってもリアルな恐怖に成っていった、それはあるような気はする。
今言うなら「パラサイトチャイルド」とでも言うべき、だろうか。血脈?それを意識する様になったから、それもある。やっぱり自身の「次」はその血族の先にこそ、それはちょっと思う。その先が消えている、感じに苛まれる時、そこには何かの暴言それは有るのかもしれない。
良い意味でも悪い意味でも、ジャニー喜多川氏は頑張りすぎた、それは有ったろうか。
彼に依存していった世界が、今更彼に全ての非を押し付けて何かの逃亡を図ろうとしている、そう言う様は、かなり違和感と理不尽、それと共にはある。飯塚幸三氏は事故で二人も殺してしまい、安倍晋三氏は射殺されてしまった、大川隆法氏も、不意に死んでいる。平成と言う時代は本当に、何かの歪みの中にあってそして、それを今も、明確には打開できていない。
今、ジャニー喜多川氏の”それ”を求めるのは、正しいのか間違っているのか、ちょっと混沌ではある。
それでも今よりはいい、それはそこに不意にある声だった、ろうか。