プライドの問題で済むのだろうか。
とは言え、そこが一番問題になりそうだけど。
何だか、不意に実感する様な感覚?はある、窮乏感と言うか、不足、それを補えない切迫感、それは重くあり…その辺が、50代くらいの女流作家?辺りに、何かの妖怪か神話生物の如く、歪に蠢いている、様な感覚。
”そこ”に有るのは、答えには永遠に届かない混沌でしかない。重大な部分は、解らないか、否定されていて…結果で状況は急激に悪化していく、そう言う。
それは前々から感じてる事、だ。平成に台頭した筈の、その多くが、結論では”その”状態に陥っていく。特に女性作家、に拘る訳ではない、しかし。売春、その構図その一面だろう、パワーバランスで、「搾取される側」に陥る時、結論では欠落に成っていく。
その先にあるのは、結論では「王の権威」でしかない。ただ、その先に有るのは何かの絶望と、そして過失の責任かもしれない。
50代くらいの女流作家の?多くは、極論すれば結局「絵を描いてるだけ」で、創ってる訳じゃない、というのは、自覚か認めないと、ちょっと妖怪化していく感じはある。土台のネタは、外部の”誰か”に依存してて、そこからの供給が無いと直ぐに破綻しちゃう、のがまあ、重い現実としては有る訳だ。
昭和と、平成で境目はある。昭和期に既に社会に出ている人々は、何もかも自身の実力、というニュアンスをプライドにさえするが、後者は”それ”を持てない…何もかも失敗してるから、だ。実際には?平成に入って昭和期の彼らも多く、同じ事態に陥っているが、その辺は昭和の成功体験がそれを否定し、平成は否定する材料が無く、平成はそんな、前者が台頭した…主に同人領域で。逆説的に、「王の権威」その存在は、その環境で奇妙な程に強調されてしまった部分はある、”そこ”と繋がりを持つか否か?で、成功それは、違和感さえ有るレベルで「違う」のだ。
昭和期の人々は、”それ”を認めないまま、自身の実力である、それを主張し、そして逆説的に、自身の言葉により…奈落へ陥っていく。蠢いている物はある、とは言えそれは、物理を前にし、自分から発せられた言葉の、その物理的な返答の様なモノでしかない。
「吸血鬼」と言うニュアンスは、もう退路が無い、そう言う意味だろうか。
自分がされる様に、”誰か”から吸わないと、自分を?維持出来ない。その結果で相手が死のうと不幸になろうと、それは。
些細な嘘の、その結末ではあるのだけど。
「オーダーに基づいて描いてるだけだ」それ以上の事は知らない、という、それが言えないのは、何かの病でさえある、気はする。
「旧来の成功を求める人々」の、その衝動は、「ストリードの連携?私はそんな事はしてない」その言葉に、希望と言うか、食いついてくる訳で。その、億単位の失敗と悲痛を背にした追及は、成功者にはちょっと耐え難い重さは有る訳で。それを耐えられるのは”事実”しかない、そしてその時、それまで主張した全ては嘘だった、と言う事にも成る訳だが。
最終的には、平成組であろうと同じではある。今は特に、ストリードの連携、それを通さない時、創作は何かの重さに直ぐに、耐えられなくなる。もちろん昭和組もそうだが、ただ後者の場合、「昭和天皇の意向」それは過去の名作として残っており、”そこ”を足場に出来る、そこは大きく違う、しかし。それも老朽化した、というべきだろうか。今後にも通用する感じは、流石にしない訳だが。
どこで、どうやって諦めるか。
それを濁したまま、10年位は過ぎてしまった感じは、する。
いや、もっとか。
漫画と言うのは、仕事でしか利益は出ない。
「そう言う物じゃ無い」筈だったのだ、多分。
そして気づくと「依頼」先が無くなった時、ふと。
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