あげちうのブロマガ

ミクロの現実とマクロの理念

問題の原理が解った?としても、打開する術、というのは別の話ではある。

経営者は最終的には博打だ、というそれが理解されないのも似たような話?

 

とか、意義とか意味を考えつつ「ロードオブロード」第5回目、再開します。


「ロードオブロード」5r 第0回目

基礎データ

領域パーツ
123456
━┃┏┓┛┗

スタートパーツ選定。
1D6→6、┗

現在の状況

  
  S
  ┗

初期値
スコア10、要求16、借金0


「ロードオブロード」5r 第1回目

前回の状況
 スコア10、要求16、借金最大0

1.領域パーツ選出

本日のダイス
白:1,6:7
黒:2,1:3

白7 1621

「要求」16+7=23

123456
━┃┏┓┛┗

パーツ
1621
━┗┃━

2.領域形成

  
  S
  ┗━━
     
     

3.不足補填

 4(┓)のパーツが不足、形成。

32661 3164:9回

4.報酬選定

 不足補填あり、報酬査定、1D6→3。

コスト消費 10-9=1
スコア1+3=4

5.現在の結果

借金最大 ー(0+5)=ー5

スコア4、要求23、借金最大ー5

・・・いや、なんか既視感が・・・。


意識?としては、「NHKは今、”ここ”の内容を放送しているんだ」それが仕事だ、NHKのマクロな放送作家は私だ、という…先日までの理解としてはそうなる、部分は結構ある。NHKは様々な理由で「神様」の座を残してしまった、そこには出来れば「大賀さん」を置きたいが、”それ”に対しての責任を持ってるのは、今はあげちうしかいない、為に。”それ”が定着するまでは今のところ?あげちうがその「神様」役をする必要が出る、と。そういう理解ではいる。ここが利益を上げていれば、税収その他は上向く筈、である。

利益って何だろう(・・・)。

ともかく?今は困った時の、ほぼ万全なテキスト、しかし体験だ、そう言うのが無いと、色々困る、のだろう。体制的には前例踏襲が基本である、今はそういうのが喪失した状況から、再構築する…その必要がある、そう言う感じ?

「最後は大賀さんで決着にする」それが定着すれば、一応は一区切りになる、気もするのだが…。

 

ちょっと、民主主義の問題、というのが少し出てきた、感はある。

「95%の人は何やかや働いてんだよ、5%はなんで働かないんだよ、本人らに問題あるんじゃないの?」

現実問題としては、効率化、機械化が進むと、単純に雇用人数が減る。その喪失した分の仕事を創れなければ?それは純粋に失業者、「社会に要らない人」に成ってしまう訳だ。失業者が何故出るのか?という、その問題を前にしては、この発言はしにくい、しかし。民主主義としては?一般的理解としては、人々の寄り合いに出た時、これはひしひしと感じる何か…ではある。

本人らの過失ではない、可能性が相応ある時、それは当然か切り捨てに成ってしまう、訳だ。理解では、社会として切り捨てを創ってしまうと「悪」判定には成る、それは国家の維持その物を最終的には難しくする、結果、施政者は”それ”を創らない、ともかく暮らし続ける事が出来る、状態を維持する事に腐心する、事には成る訳だが意外と、民主主義はそれを理解?しない。

結果?社会から排斥される存在が発生し、それが或いは日本で餓死する家族とかいう絵になり、”それ”は社会への応報、的な変化の原理になる、訳だが。

ともかく、”切り捨て”を創ってしまったらシステムとしては”負け”である。そういう事態を前に、「ストリードの連携をしてください」「大賀さんの決定に従ってください」そういう限度が出来る訳だが、「独裁創作」それは、その壁に対して不満をぶつける事には成る、訳だ。それがヒットラーの再来である、という自覚をしても逆に、その時は「ヒットラーは正しかった」とか言い出す、そう言う極端な話にもなる。

そういう「思想誘導性」或いは「暴力性」相手の自由意思を歪めてしまう物が強くなる時、応報として、理不尽な暴力?殺意、それが偏向していき、民主主義の信仰者に、奇妙なというか、恐慌、何かの異常、それを産んでいく事にも成る、訳だが。

 

本当に仕事出来るのにしてない場合も結構ある、訳だ。特に独裁創作に拘る人々?は、そう。ヒットラーも考える話だ、「私の絵が売れれば全ての問題は解決するんだ!」その憤慨からの熱意は、やがてナチスを形成していく事になる…彼は結局最終的には経済の立て直しは出来なかったが、それでもそこには今にも繋がる執着の様な物はあり、そして今の理解もある。

創作が売れれば、経済は発展する。

ただその時、独裁創作、それは逆効果だ。

「なんでダメなんだよ」

自分の行動か存在か、それはこの固執に何かの理由を付けてしまっているだろうか。

 

NHK、いや「テレビ」としては、独裁創作へは否定的な状況に成ってもいい、筈だがしかし。お飾りの様な何かは果たして、何処まで意味があるモノか、ではある。意味的には、やはりか、報道よりも・・・文化的な放送、そういう方が重要には成る、視聴者の見たい番組と言うのがやはり利益の向上には大事だろう。それをどうやって?そこは疑問がある。

映画産業の衰退から繋がる、それは固執かも知れないのだが。

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