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あげちうのブロマガ

親も認めた畜生その罪

自分の地元でも起きたが、親が有力者だが息子が酷いニート、というそれは果たして誰が悪いのか。

マクロで言える事は、子供に「無理」を要求する先に、その破綻が有るという絵だけど。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

うま娘も、如何に可愛く描こうと馬なんですよね

 

「むしゃくしゃして付け火して数件燃やしちゃいました」ゴメンね、でそれは終わる話か?ではある。この時、この過失は一生消えないモノとしてフラグに成る訳で。この人物が例えば創作何とか!しようとしてもそれを求める人は基本居なくなる、良い未来を目指す為にそれが必要なのに、そこに犯罪性があっては意味がない。もっと単純な感情論だ、そんな畜生の作品を買う事なんて有りえない。

人間は意外な程、その”神のフラグ”を先ず作品の是非として見て、それにお金を払っている。

その時その人物が、如何に作家としての成功を目指しても”無理”だ。しかし、そんな彼らが「漫画」に逃げ込んじゃう?のも、或いは太平洋戦争の影響、だろうか。有名作家の多くも徴兵されていてそして、戦場で殺し合いをしている、のだ。過失という点では最上位の”それ”を犯しても、彼らは作家として認められている、なら自分も?

戦争で戦場で兵士として人を殺しても罪には成らないが、日常ではパンを一つ盗んだとしても罪人である。

感情論では理解できる道理はしかし、”そこ”へ逃げ込んだ人々には、そもそも解らない。

それを言ったら、「徴兵を免れた人」も、或いは似たようなモノ、ではある。権力を利用して逃げたその人々もまた、創作で利益を出す事は出来なくなる。”神”の視点で「罪人」とされている時、そこに利益性は発生しない。この壁を突破する為には、如何なる努力の前にまず贖罪が必要だ、が。その時点で今の特権が消える、としたら、それは無理と言うモノではある。

だから、無理だ。

「ミノス王の牡牛」ミノタウロス、という怪物は、考えたら要するに「当時のニート」ではある。親のしてる事の結果か「過失」に対して意識が薄くなってしまい、そして或いは学習、そう言う物に対しても必要性を感じない。武力で圧倒し得た意識の帰結は”そう言う感じ”で現れるのだ、それは道理ではあり。親のしてる事を奇妙な程に象徴的に子供が具現化していく先で、それは人間では無くなっていく。そしてだからこそ、親はそれを罰する事が出来ない。

鳶が鷹を産んだりも、蛙の子が蛇だったりもしないのだ。そう言う物かもしれない。

こう言う話が、今の想定では文部科学省の重役辺りにもあって、”それ”が現場の娯楽産業、そこを汚染している、という感じだろうか。問題になる人物が成果を出せないのは、過失のフラグが付いているから、だが。”それ”と同じ事を親がしていたら、親もそれを罰するとか問題にする事は出来ない訳で。ともかく文部科学省には印象として不意に、「神」が居ない、それは重大な懸念としてはある。天皇陛下さえ”教育”する立場、そこに居るのが単なる独裁者、ではその後は、だ。その混沌は想定外でもない、道理として深刻さを増している…というのが今の状況にはなるのか。

「教育」と言う話では、何処から始まるのか?もまた、深刻ではある。意外なくらいに世界を覆う話だ。そして、利益を伴わず、過失も問われにくい、そんな領域でもある。なのに、それは世界を「教育」する立場として、そこに有る訳で。それは、その象徴として、ある。戦争に勝つ為には詐術も方法論の一つだ。「ただほど高いモノは無い」は、唐突な危機感と共にそこにあるのかも。

ミノタウロスは、果たしてどう倒せば良いのか、だ。

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