微妙な表現には成る。
今、学歴それは、害悪にしかならないのだ。
むしろ高い学歴を恥じる位でちょうどいい、位が現実と言う、歪みは重くある。
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何でか?と言うとつまり、現在の経済は重い借金と共にあるから、だ。
高学歴のそれを結集した結果が”それ”である。学歴は、経済的な破綻に対して何の役にも立ってない訳だ、事実として。
”それ”は学校に問題がある訳ではなく、そもそも現在の状況が未知であり、テキストが無い、事に起因する。
現在の打開の術を、「学校では学ぶ事が出来ない」のだ。
その上で、状況は切羽詰っている、のに。その、「役に立たない知識」それを毎日、習得せねばならない。
切羽詰ってるって言ってんだろうが。
キャピタルゲインがどうたらこうたら、トリクルダウンがうんたらかんたら、それら経済学で言う”全て”が「と言う訳でリストラしましょう」今は、それへの導線に過ぎない。今まで有効だったそれら全てが、結論で言えば独裁性を認めた上での売春婦の許容、それへ通じる、人間を喰って、今までの経済は発展してきた訳で。
学校の「勉強」とは、それを続ける為のそれでしか無かった、それは事実としても重く…実はある。
…まあ、この位の方が正直、現在のストレス軽減には意味がある、かもしれない。
とは言え、「で?」結果は何処に有るのか?に関して、”それ”は状況を護る為に、だろうか…全て存在しない、訳だ。
その辺、「ゼビウスは売れなかった」を言い続ける位に、それは徒労と共にある、かもしれない。
”実感”の問題、だ。「面白い」は、意外と共有感が有り普遍性がある。塩がしょっぱい、レベルで「同じ」部分を持ち、そして、ゼビウスには”そう言うの”が欠けている。それを持たない状態で、ヒットした、利益が出た、そう言うのは確認できない。
この辺、「進撃の巨人」にも通じている訳だが。
料理に塩を使う必要はない、レベルでの凶悪な思想は、学歴社会、その継続を足場にしてか、巨大な壁を形成はしてしまっている。「それは無理だ」を許容したら、今は、学歴その物が意味を持てないのだ。重い負担、数百万円の学費と、4年以上の歳月を投じた自身の子供らが、単なるヒキニート以下?と言うのは、流石に許容し難い。しかし、それら学んだ学歴を今の社会に振りかざす時、”それ”は或いは、社会に対して損害しか齎さない。
かもしれない。
結果が全て、ではあるのだが。インターネットが不意に、「内向き」と言う”それ”を意識する瞬間ではある。この環境は、この環境”だけ”では利益性を目指していない。あくまでも社会人としての労働その対価を投入して維持される、そう言う環境である。この中に投じる”全て”は、あくまでも内向きな人々の、何かのストレス発散に過ぎないのだ。その結果として”外”に対して何をアプローチし得るか。”それ”こそがこの環境の存続を齎す訳だが。
インターネットは、想定外にか、大きく成り過ぎてしまった。
「外」それは、何処に有るのか。
何らかの感覚の改変、それは必要だ、しかし。
どんな学校の図書館だろうと、未来の教科書は無いのであって。
…ただまあ、カルトとの違いを語るには、まず自身がミイラで無い事を確認せねばならないが。