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あげちうのブロマガ

小さな部屋で続く恐慌

全くリアルなシンクロかもしれない。

ショートサーキット出張版読み上げ動画6607

定年を超えて年金生活の親が居て、それまでの拠出により年金は相応に金額が有り、日々の生活には困らない、が。その子供は職が無く、収入は親の小遣いのみという状態。問題を起こす訳でもなく役目は果たしていても「収入が無い」と言う不安は何処までも重く、そして、やがては親も介護状態になり、子供がその、親の年金を管理する様になった。その結果、今までの放蕩な使い方に比べて節約はする様になって、生活費はむしろ余裕が出る状態になった、が。本人に収入が無い、と言う状態は変わっておらず、親が居なくなったら維持出来ない、そんな事態は益々、リアリティと共に。

金本位制と人本位制、その関係が実際には、”これ”かもしれない訳で。人本位制の方が現状は状況を監督している?としても、そこに収益が有るのか?には、「状況が良くなった」と言う結果だけでは判断できない。この場合の対比は、「年金」=「税金収益」と言う感じだが、それは親の世代が居なくなっても維持されるのか?個人のレベルに落して正しいか否かは定かでは無く、ともかく余所の話とも言えない、そう言うのはある。


関係するかしないか、不意に、スマートフォンの容量不足に、奇妙な深刻さを少し。

思いがけず、そこに対策が無い。「内部ストレージがいっぱいです」これ以上アプリをインストールできません。その為には?古い、使わないアプリを削除するなりせねばならない、が。重要な?アプリ程、異様な容量を喰う現実があって、こまごまとしたそれを削除してもどうも、意味が無い。外部ストレージに移動させたりは?仕様上出来ない様で、それはそれで「つまり買い替えろと言う事だ」が。そこまでする?と言うそこに躊躇はある。疑念と共に始まり、「まあ便利かも」に至った結末に、そこに有る限界?そんな。

”今まで”のパソコンの環境では、あまり意識しなかった話、だ。
アプリの場所が指定された事が、あまり無い訳で。
正直言うと、WindowsXPの頃から始まった流れ、だろうか。
アプリもコンテンツも、「定位置」を指名される様になった。

ふと気づくと、突然だ、外因としての「使いにくい」それが何だか、顕現してしまう。


嫌な雰囲気は有る。最初に「えー?」的に否定感を持ったそれは、最後の最後で「やっぱり」に成るのだ、その際の責任それは誰に有るのか?以前の環境なら、「散らかっている」程度の問題でしかなく”それ”は、自己責任だった、少ないなら増やせば良かった、が。家を建てた、その収納の使いにくさが住み慣れて顕現した、様な感じで、それは最初から懸念されていた事で、誰が悪いんだ?を、どうしてもそこで議題にしてしまう。

”それ”が、OSやスマートフォンの世界に有る訳だ。
それが、インターネットに無かったか?と言うと、やっぱりある訳で。

そしてそれが、世界全体の構造に対しても、存在しているのでは。


多頭飼いによる飼育崩壊、それは何故起こるのか。

そして世界もまた、何故それを止められないか。

事態の改善に、重要なキーが不足している気は、する。

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