あげちうのブロマガ

才能がある人々は侵略をしない

「神は何故?!」と、災害の度に思う事だがその前に、人的な災害は他でも出ている。

その時に、その災害は救われなかった、ら。同じ災害もまた、救う理由が無い。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力、翻訳して出力

「それは出来ません、規則ですので」簡単な、しかし面倒な、視点では壁。

 

今の「大衆は神である」その理解では、「祈祷が無かった」信仰の結果、声が届かなかった、という事には成る。”神”という領域があり、そこでは祈祷と感謝が行き交い、世間の安定と幸運の生成、”それ”が行われている。”これ”はでも、逆もある訳だ、対立する意識からの「負けてください」そういう、呪い。一般的な宗教はその辺にフィルタがある、しかし。カルトの様なそれは、そこに善意とか、そう言うのが無かったりもする。

「呪い」それは、物語に意味がある限りは、実際に有るのだ。

家ごと流され行方不明だった女子中学生が、遺体で発見された。直前までスマホで家族と連絡を取り合っていた、だけに安否が気に成ったが。見つかった、事は吉報だったかもしれない。この悲痛がある前に、自分も自分の無力さみたいなのを…実感する事態はあって。結果的には、自分に助けは来なかった、そして、石川県にも救いは、何故か来なかった。

現状のシステムの、激昂したくなる欠落、”それ”を感じる瞬間では、ある。

「誰かは犠牲になる」のだ、トリクルダウンは起きない。このシステムの最下層に居たら、それは生贄の豚か何かと一緒である。それは、或いは祈祷だろうか。世間全体から、じわじわと首が絞められて行って…そこには犠牲、そう言うのが現れる、訳だ。自分の場合は今も、まだ「損害」で済んでいる、が。生きていく事に固執すると逆に、「命の損害」それは、認識が軽くなってしまうのかも。

ここに餌は十分に無いのだ。早い者勝ちである、その時、他人を気遣う余裕は、無い。

「利益が出る」システムは、施政者側の問題、それを前に無視されて、じわじわ、犠牲が出ていく。

結論で言えば?その思想で言うと「アートスケールで70点以下の作品を売る」そう言う部分から発生していく。世間の、自分らに都合のいい「内輪」のみを救う、様な作品しかないと、一部の人々は救いの加護を受けられない、訳だ。もちろんそう言う作品は売れないしウケないしかし。施政者側?には関係ない、元々それは、或いは単なる紙の束に過ぎない、原価100円それを、愚者が500円とかで買っていくだけの話である。

”そこ”に、+400円以上の「価値」を載せねば成らない?そんな非現実的な話は偽りであり、邪である。

金本位制、それは最終的には”そう言う感覚”には、成る。”金”のやり取りに過ぎない、金は消えないが、中々増えない。”それ”をどうやって平和的に奪い取るか?が、経済の戦争である、麻雀とかの博打は素晴らしい方法論だ。そして、そこで最後に勝つのは如何なる方法でも賭け続けられる奴でしかない、マーチンゲール法はそれを証明している。

「才能」という言葉で分断されるその壁は、視点では弱者否定にもなる、才能が無い奴は要らない。という「才能がある奴ら」を倒す事にこそカタルシスと意味がある、そして。状況では、その否定に才能というのは何故か深刻に勝ててない、訳だ。いや数値は別だ、しかし権力は今も、或いは彼らの側にある…何かの負債と共に。

「お金、返してくださいよ」

才能がある側は、最終的には自分が”彼ら”の切り捨てに有っているとしても「それ」しか言えないのが、何とも理不尽な現状ではあるのだった。

金本位制は、金が担保である。しかし?地球上で流通する”その”総額は1000兆円には届かない、世界全体のお金、その存在に対してはあまりに足りない。その不足分は、「才能がある」人々によって構築された人本位制、”それ”からの借金で賄われており。現状はほぼ全ての金が、数値的には人本位制に買われた、状態ではある、金本位制、それは事実上は消滅している、訳だが。

…ただまあ、「才能が無い」人々の方にあるモノ、それは今も過去の威光かそう言うのに依存し、後輩らは、”それ”に勝ててない、感じではあるのだった。

才能を尊重する社会を!が、今の不景気、それから脱する方法論ではある。才能がある人々があちこちの職場に居る事でこそ、社会は高度に安定する。才能とは、要求と訓練の結果でしかない、一応現状は「王の権威」それも、理屈の上では消滅している。その上に「大賀さん」紛争解決機構それを置く事で、システムを構築した元「王の権威」であっても、その狭間では敗ける事がある。今はまだ、権力は「才能が無い」側にある、しかし。形而上の金本位制が人本位制に買われている様に、形而下、現実も次第にしかし、損失を伴って買われ続けている、のかも。

”そこ”には神の加護が無かった、のだ。古い人々は災害現場を切り捨てていた、だから。

「あなた方には施政者の資格が無い」それが続く事で、良くも悪くも世の中は改善していく、のだけど。

「何故救わなかった?」

それは、或いは犠牲者であっても、自分自身に問われる話。

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