「かむろぎ」という市場?は、今も前には出ていない、存在さえ疑問符だ。
それでも存在するが故に、そこにあるモノは勝手には使えない。
※「pixAI」にて、タイトルに幾つか加筆、プロンプトに入力して翻訳して出力。
ともかく自棄になった時の過失って誰に責任があるのか?ではあり・・・
何だか不意に、具合が悪い。以前に考えた「アドバンスド・ドリームキャスト」が見えない所で発売されたからだ、ろうか。”その”コンセプトが現実から受ける否定、それをちょっと深刻に、物理的でさえある何かとして浴びている、気はする。世の中から要らない人に成ってる人々の受け皿を創ろう、というそのアプローチはでも、逆説的に”それ”を齎す社会の原理、”それ”へと批判を投げていく。結果でそこに発生するのは「死ね」だ。底辺は底辺で、自分らを不要とする存在が居なくなったら少しは軽くなる。最上位は最上位で、自身の失態をなじる現場が居なくなれば心も穏やかである。
呪い同士が衝突する、そんな現場をわざわざ創る辺りが、まあ何かの間抜けというべきだろうか。
インターネットが考えなしに性能を上げ過ぎたからだ、とかは言う。テレビが不要になるほどの性能、は本来は要らなかった。もうちょっと状況を考え抑制するべきだったろう、しかし。人力発電機に「動力繋げば?」という元も子も無い事を言う人はしかし、実際は結構高学歴で、提案した奴は高卒である。前者は「馬鹿なの?」そのため息を受け入れる事は無い、自分の方がはるかに賢いから、だ。その上で、テレビに存在する独裁者は既に、何かの変質を起こしている感じ、さえある。「ペットに対して慈しむ心が必要」視聴者が人間に見えてない可能性が、或いは。
その上で、テレビはスポンサーに応じる姿勢は見せない。昭和天皇はむしろ支配する側だったから、だ。テレビはそうでなければ成らない、という状況を引き継いだ人は、もちろんか昭和天皇と同じ事は出来なかった。どんどん悪化していく、しかし、その人が悪いのか?というと、昭和天皇にしか出来ない事を要求する方にこそ問題がある、実は。
複雑なのか違うのか。ともかく現状では、直ぐに打開、というルートは見えない。
安全なのは、まあ「インターネットが無駄に性能を上げ過ぎた事が問題の発端である」という意識の方が、まあ少しは落ち着く部分もある、だろうか。しかし、「利益が出ないのは独裁者の存在故」という物理を前にすると、テレビのそれは改善せねば成らないポイントではある…昭和天皇は滅私奉公をする事に理由があった、太平洋戦争は悲惨の極致だった訳で。後の人々にはそこまでの理由は無い、何処かで「なんで?」その領域の問題、その全てが自分の過失とされる事態に、耐えられなくなって、変質する。
のだろう。
打開が見えてる訳じゃない、今のテレビの独裁者に「あなたは昭和天皇じゃないでしょう」と、改善の様な物を要求出来るか?も解らない。今更インターネットのパワーを制限しよう、というのも現実的じゃない。人々が求めるのは、昭和の頃の「問題ない世界」ではある。その上でテレビは必要不可欠だった、しかし。それは不可能だ、という話を通すのは支持する人々の意識等を考えても無理はあろうか。ともかく落ち着くまでは、”この”殺伐とした状態を打開したいと思う人々は、総じて何かの不具合と共にあるのかもしれない、かなり広範囲にか具合の悪さが深刻、ではある。中東の終わらない戦いはこんな感じで続いているのか、と思うと、その先の打開も見いだせない現実はある、最大の問題は、この時両者は「紛争解決機構」それを許容する状態に成らない事だ、ろうか。
独裁者が居なくなったらそれはテレビじゃない、が。
独裁者が居る限りは、それは利益を産まないお荷物でしかない、のだ。
インターネットにしてみたら、テレビは本当に「要らない何か」ではある。
昭和を望郷しても意味は無い、が、能力の限界を感じる今日この頃、ではある。