物差しの是非ではある。
ショートサーキット出張版読み上げ動画6697
「機動戦士ガンダムUC」それを、今の「アートスケール」それに当てる時、ちょっとそこに有る数値に、何かの悪意は、自身のか、それはどうしても思う。
「機動戦士ガンダムUC」
主題 1「ガンダムとは何か」
情景 1「宇宙世紀」
描写 1「アニメ的に」
注意 1「UCガンダムのカッコよさ」
主張 0「俺(作者)は凄いんだ!」
矛盾 1「UCのギミックの意味って」
追加項目
技術 1「無駄な記述が多すぎる」
個性 1「資料集ですか?」
一般 1「ガンダムのMSが出てる」
独自 1「宇宙世紀の必要性って」
9点。
なんか怨みでもあるんですか。
正直、小説は読んだ事も無く、またアニメもYouTube等の切れ端を見たのみで、話題としても結局最後、「ユニコーンガンダムにそれを仕込む意味って」それは明確に成らないまま、どたばたして終わったらしい、という理解にしか成ってない自分は居る。状況も悪い、一番ストレスが有る頃の、一番前にか有った題材である、それへの敵意、それはちょっと重いと言うのはまあ、道理。
立場によって、数値は変わるだろう、ともかく「ガンダム」と言うコンテンツの特殊さでもある、それを前にしては、何かを黙らねばならなかったと言うのは有るが。作品としてはどうも…忌避感と言うより嫌悪でさえ有った。
特にこの”主張”の部分、「俺(作者)は凄いんだ!」というそれは、ガンダムSEEDにも実際は感じる部分ではある。何を言いたいのか?に、公共的なテーマが見えない。その上でこれはある時、それはつまり。
そう言う苛立ちを、それでもこの「アートスケール」は、明示できる、と言うのはまあ、一つの進捗なのかもしれない。意外な程、何が何処がどうダメか?を明示できるそこは、溜飲さえ下がる部分ではある。物量の洪水で覆い隠そうとして居る感じしかしない、それは忌避感を加速はさせるが、そこに有る、これもまた一つの結果として、納得がある、そこは安定はする。
ただこのスケールを、他の平成ガンダムにも当てていくと、どれも似たか寄ったかには成る、という視点も有って。平成のコンテンツはどれも酷かった、と言う感覚にも合致する、それが売れた?とか、そう言うのもストレスだが。それでも「新世紀エヴァンゲリオン」には、80点と言う数値が付いた、そこは一つの現実、無視出来ない理由、それとしては妥当だろうか。
今後”これ”があらゆる創作その、「評価」の基準に成る、可能性は実は、少しある。
また、ここで60点以上を取れない人をディレクターと呼ばない、認めない、そう言うのは、少しの浄化作用は有るだろう。それは状況を少しは打開するだろうか?人々は、メディアのプレッシャーよりこっちの評価を選ぶのか、そこは今も混沌はある。
ただ、この結果、「独裁創作」それを創る動機が出来てしまう、それも現実だ。
その時、その作者の主観の大きさ、それはその他を排除する、そう言う傾向は間違いなく、見せる。
自分の周囲にか、それは想像以上に早く、何かの負の面を見せたりする訳で、それを圧してもやるか?と言う、そこに重い、何かの犠牲を伴う選択はある。
下がっていては、何も出来ないかもしれないのだ。
命を賭して前に出ようとした、それはそれとして、結果としてある。
使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10068096
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