なんか色々あってか、”ここ”は「議長」に成った、らしい。
ともかく、”病気”を治す事を優先したい雰囲気は少し重い。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力
てこでも動かない、というのは時々あるもにゃもにゃではある
多分、「日本テレビのセクシー田中さんの件に対する報告書」その帰結、だろうか。”それ”を書いたか書かせたか、の人が「議長」だった、訳だがそれが、流石に「何の解決にも成らない」その内容を否定され、権威性を失墜した…そう言う事かもしれない。「漫画」の領域は、その意向をその場の議長とする事は出来なくなって、そして。
意識的には、形而上、「倫理を構成する精神の領域」”神”を中心にした、人々の意識が集う”何か”そこでの騒乱に、自分も関わってる?先の話、にはなる訳だが。現実その物は自分で「牢陽帝」と評する様に、何かの枷の中から出られてない、ままではある訳で…。未だに「体よく利用されている」面倒の対処を要求されてる、”だけ”ではありそれに、対抗し得ないのが深刻ではある訳だが。プラスもマイナスもある、今の状況なら無責任で良い、如何なる創作?での危険性からも回避し得る、が。逆に言えば「全く何の影響力も無い」事態でもある訳だ。本来の「大衆は神である」と言う思想的には…もうちょっと現実へアプローチできても良いとは思うがそれは主観である。
「対価」は得ているのか居ないのか。一応「得ている」と言う意識の先でその「議長に成った」とかの妄言?が出る訳だがしかし。遊楽費よりも必要なのは情報ではある、そしてそれへの対処。世界はギブ&テイクで出来ている、筈で。こちらの出力に相応の貢献度があるなら、応報はそれ相応なモノとなってもいい、筈だが。
花粉症でもなく、コロナにも掛からず。自己判断では大病も抱えずに今も、これが続けられているそれは、それでも結果なのだろうか?
ともかくそんな疑問の中で、不意にか「議長になった」認識はある。どうも「漫画の領域」だ、形而上の?かは謎だ。会議での「指標」何を議題にしているのか、是非は何か?を抱える存在、それに成った、というのは少しは身近に変化を期待してもいい、筈ではある。今までの”議長”が何か大ポカをやらかして墜落、代わりに、ではある訳だが。ともかくその時、先日から言っている「民尊主義的議会」それは人々の為になるのか?を議題にしての反論が無くなる迄の論戦、それがこの領域では定理と成った、事には成る訳だ、漫画の是非ではある、相手が反論できなくなったらそれで可決、である。作者は我意ではなく理論性か道理の方を重視した方が話は通る、筈ではあり。自分はもちろんそれでいい、とは思うが…振り返ると、今までの作品とは多分、大分ズレている。
特に、「機動武闘伝Gガンダム」なんか、「全然ダメだ」その判断から出れない。
少しだけ深刻ではある、”この”ネタに対しては如何なるネタもダメ出し出来そうな、そんな感じ。理解では、冒頭からエンディングまで拾えるものがほぼ何もない、様な。もちろん自覚か理解もある、そう言う作品じゃない、のだが。また自身の抱えるガンダム論でも、MSとしてデザインされている限りは、”何か”の文化を象徴している、それを否定する事は出来ない、のだけども。それでも、ちょっとなんか考えちゃう時、明らかに「それはGガンダムじゃない」それは、つい呟いてしまう。
ノリと勢いだけで突っ走、れない。何処か何か理屈が語られ始め、”それ”を壊して終わってしまう。
それは多分、反論を超えられる物でも無いだろう。「それは人々の為になるのか?」単に作家の衝動の発露でしかないんじゃないか?ガンダムに対してのこのアプローチは何の意味を持つのか?反論が残ってる限り、”これ”は先が無い。その時、このネタは希望が有ろうと否定されてしまう。
人気だ知名度だ、は。自分の状況から言っても議題に成らない。
対案、的なネタはしかし。要するに小難しい話を始めてしまい…そのある筈の「人気」其れにはちょっと、該当しない。
新作の企画が進んでいる、という話はあるのだが。ここが「議長」に成ったとしたら、ほぼ最初から全否定の苦境にはある訳だ。”それ”を押しても先に進む先にあるのは芦原氏の悲劇、かもしれない。しかし。
それはブランドなのか、それとも。
価値観それは、面倒ではある。