把握してる状況は、荒唐無稽ではある。
現在、”ここ”が「ユダヤ教の王」なので、問題にしている「ユダヤ教には”供給”が無い」そこは打開されているのだ。
もちろんそこには疑問しかないし?自分も宣告された事は無いし、それを公示してる、それも無い訳だが。
何を言ってるのか解っているのか?
ネタにも成らないデマ以前と言う、そんな自覚も有る訳で、問題、それは実際には”そこ”にこそ、「誰も信じない」そこに集中する、そう言う感じかもしれない。
前任の「ユダヤ教の王」それは、ユダヤ教そしてその歴史を土台にする結果で、基幹に成る「太陽」それからの供給が無く、”それ”を受け入れる事も出来なかった。その上で”成果”を要求する結果、現場はかなりの混乱と言うか、残酷と言うか、犯罪性、理不尽、それに晒される事には成って。平成は原理的には”それ”が原理として、経済的な苦境、それに陥ったのだ。
そして、ユダヤ教の王それは、”それ”を全て、「王の権威」それに向けてしまった。
お前が存在する事が、全ての理不尽の根幹だ。居なくなるべきだ。
道理の様なモノも、それはある。
ユダヤの民が流浪の民となったのも、格差を創っているのも、原理を問えばその「王の権威」それが存在する事に起因するのだ。「人々は平等で無ければ成らない」民主主義であろうと共産主義であろうと、実際には逆らえない原則、それは物理的でさえもあり、そしてその時、「王の権威」唯一利益性を持つアイディアを創出し得る存在、それは、理想の前の敵でしか無かった。
物理的な話だ。物理法則が結論で1つしかない、重力加速度は地域で変わったりしない時、「物理と最もシンクロする個人」それも、一人しか居ない、という結論がある。それが王の権威であり、”その”存在と過去の「文明」とは、恐らくは相関関係が有り…”それ”が現れれば栄え、居なくなれば滅びた、訳だ。「太陽信仰」がその中では大きな意味を持つが、それに逆らい排斥された、それがユダヤ教でも、どうもある。
それは平成の始まり、「王の権威」その前任者の「昭和天皇」の死去と共に台頭、”王の権威によって”不当に排斥された、という人々を逆に重用する結果、それは損失を加速させる事に成った訳だが。
「これは不味い」となったか?と言うと、逆だ。
「王の権威を支援する組織は、まだ残っている」或いは、そう成った。
そうして、平成は、実際にはそんな「ユダヤ教の王」と「王の権威」との対立、という図のまま、30年を費やしてか、そうして終わった。或いは、「ユダヤ教の王」その死と共に、だ。
経緯の様なモノ、だ。「ユダヤ教の王」は、最後に、その権利?それを、”ここ”に置いて行った、不当な否定に対する対価の様なモノ、だ。また、仲間の状況を維持する為に必要なモノを、”ここ”しか持ってなかった現実もある。老いて死んでいった王は、結局は、表に出る事は或いは無いまま、誰も、彼がそうだったと言う理解の無いまま…ただ、静かに?消えて行って。
結果、「居なくなった」と言う理解に成れないまま、世界は今も、その戦いの中に有る。
理解が正確なら?もう、意味の無い話だ。
ただ、「ユダヤ教の王はもう居ない」という理解には、世間はまだ成れないのだ。
姿を見た事も、何処にいるかさえも解らない、そんな絶対者の喪失は、まだ影と言うか、そう言うモノを残しては居る。
”それ”が何処まで続くモノか、それは自分にもまだ、解らないし。
「ユダヤ教の王は、もう居ない」のか?
それは自分でさえも、不意に、不安になる。
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