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あげちうのブロマガ

そこに有る鏡の意向

その時。

物語は、漫画は、テレビゲームに負けた、事実はある。

主幹は何処?と言う観点において、だ。

「良い物語でしょう?」しかし、それは現実に成らない。

一例、スポーツもの。
弱小の野球チームに熱血コーチが赴任、紆余曲折の末にチームを纏め上げ、甲子園に。

行けますか?と言うと、相手も同じ様な状態だったらどっち?は、我の張り合いになる。願いは青天井だ、そのまま甲子園優勝、或いは。その時?物語にリアリティは無くなっていく。

漫画では、如何に不人気に成っても、最後まで行けるのだ。
最後は読者が、作者一人しか居なくても、だ。

この壁の前に有るのが今は、「テレビゲーム」ではある。

抽象化され、小さな盤面に落され、そこで、代理人らが、双方の立場で激突し、結果を出す。
”この”結果に逆らうと?その物語は著しく、評価を下げてしまう。報道とかも”同じ”だ、自分が言う「大賀さん」その狭間で出た結果に逆らうなら、それは相応の応報と共に、そして結果は動かない。

”その”作者であろうと、だ。

「戦争を回避する」前出の我の張り合いはやがて戦争に発展する、その前に、テレビゲームで決着に成れば、それは回避し得る。今の所”ここ”が最善であり、「神の意向」その決定ポイントではある、”壁”だ。人類全体が?この壁に挑んでいるのが今の状況かもしれない、新型コロナウイルスは、そんな「神に逆らう」結果だ、と言う視点なら、それは諦めるしかない、他者の自由意思にまで介入は出来ないのだ。

結果、物語は、何処まで注力しようが、”それ”は以前の様?には具現化しない。
衝突の結果として妥協を孕んだ選択の結果、第三のそれに成り、双方が微妙に失望しつつ、先へ。

以前は、具現化してしまった?部分もある、しかし。その結果としてある悲痛の一つが「岡田有希子の自殺」かもしれない。ファミコンを守らんとすれば、対抗する”それ”は排除せねばならない。その時、圧力は最後の結末まで事態を進めてしまう、負けた方は、「居なくなる」のだ。

人間が神様に成ろうとしたら、それは面倒の始まりではあるのだが。

今も、シニア世代か?それは、「テレビゲーム」それを神にする、という感覚に理解は無い、気もする。特攻隊で戦局は変えられたか?と言うと変わらないがそれでも、どうも意識はそこまで進んでしまう、死に物狂いでやれば何とかなるのでは。「先生」の、その無理が通ればの意識は現場に無茶を強い、それが悲痛の原理となる、末端は常に戦火の中だ。独裁創作を利益にする為に、眼前の敵は殺さねばならない。

ともかく現在、人類は「新型コロナウイルス」それへの対抗として統一的な意識にはある、戦争はしてない、が。東京オリンピックまでに、この辺は治まるのか?は、ちょっと謎ではある。人類の反抗する意識が消えるのが先か、「大賀さん」それが耐えられなくなるのが先か。自分の理解では後者は戦火の始まりには成る訳だが。

医師会は、コロナ禍の終息を快く思っていない、らしい?

 


使用イメージ
https://publicdomainq.net/hiroshi-yoshida-0034538/
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10771711

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