現状のストレスとは、少し異なる題材に成ってしまった感はまあ、ある。
ともかくAI界隈が、割と感情論だけで炎上?暴徒化している、それは多少、剣呑な様ではあり。
※「pixAI」にて、タイトルに幾つか加筆、プロンプトに入力して翻訳して出力。
コラージュデータのほぼ全てはアシが描いたモノですが配置は私が、という絵の是非
一応大前提的に、今のAI絵は、法的にはほとんど問題はない、らしい。
ぶっちゃけ形成方法の細かい部分までは解ってないのだが、まず元絵が「風景写真」等、である。”そこ”にまず著作権が、無い。その元絵から構成要素を抽出、キーワードと紐付ける。結果で、キーワードに対して選出される絵が出てくるようになる。それを「絵柄」という方向でフィルタ、加工する事で今のAI絵になる、感じ(ペイントソフトの水彩画風フィルタ、的な)。そのコレクションするデータの規模が1000や2000じゃなく更にパーツ単位でも微細に細分化する結果で、ほぼ人間には要求した物が出てきている、事には成ると。昔話題になったファジー理論の大規模化、と思えばいいらしく?良くも悪くも「多数決採決の最大公約数」を絵として反映したという物ではある、様だ。
なんというかふわっとしてるのは自覚もある…7割くらい合ってたらいいかなー的な…。
ともかく問題はLoRAと呼ぶ、「特定の元絵、絵柄を中心にしての集中した選択」による、絵柄の真似とキャラクタの固定ではあるが、”それ”はまあ、”それ”を創った人の倫理の問題では、ある。
実際に、同人の現場でも「そっくり!」な絵はいっぱいあるし、似た絵柄、という話なら萌え絵、とは誰の絵柄?ではある。法的には絵柄を独占は出来ない、罪は問えない、という事は、昔からの規定ではあるそうで。
ただ、問題に成るのはキャラクタで、オリジナルの絵柄でオリジナルのキャラを描いて「作者ではない私が描きました」ら、盗作である。それは普通の絵師の世界でも、そう。
その意味で、今のAI絵で問題に成るのは「ずるくない?」その価値観だけ、だろうか。
オリジナルの価値は、その絵を画家が手で描いた、その過程にこそ、ある。
そして?二次創作も”それ”を再現し得た、所にこそ、似た「すごい」が、ある。
なのに、AI絵は理解では「オリジナルをコピー機に通して複製した」結果でしかない。
形成が如何に高度でも、それはまあ、人々が求める物じゃない、訳だ。価値がまあ、低い。
それを同人誌のレベルで売ろうとするのは、まあ感情論として…ダメは言いたくなる。
実際の絵画でも、自然風景をただ写実的に描いた、というのは価値が低い傾向は、ある。
そこにテーマ、「何を描きたかったか?」が無いから、だ。凡庸な写真に過ぎないのでは労苦の無駄遣いでしかない。その自然の中に何を見出し、何を伝えようとして、それが人々に同意された上で「好ましい」評を得ると、「良い絵」になる。
この辺が今のAI絵の弱点ではある。この時、「何を描きたかったか?」を、AI絵はほぼくみ取らないし、表現する気は、無い。
単に、そのデータを創った人々が「良いね!」という、ただそれを選びだすだけ、だ。大概は作者の希望とはズレる。
舞い降りた力天使の様なイメージの女性シンガー、を描いても、AI絵は「可愛い女性シンガー」にしか、しない。
”普通”は、それこそが評価の高い所だから、だ。少なくともそのデータを創った人々の間では、だ。
彼らはもちろんか、そのデータを入力する仕事をしている、という点で…それほど優れたアーティストでは、無い。かなり偏る。
体感論では傾向はある、良くも悪くも、底辺層の理解?それを狙うと合致する場合は多い…まあ、それでも少し過剰気味、そんな気もする。
ともかく、AI絵はこちらの希望するテーマとは合致しない、それは今の断言と言ってもいい。
なので、理解ではその元データ、「”自然”をただ写真に写しただけ」にしかならない、そういう部分はまあ、深刻に重い。
そういう物だと思っていれば、使えない代物ではない、言葉で要求し得る情景ならすぐに出してくる、というのはハイレベルな秘書か編集のような物、ではある。それで自分の求める絵が創れるなら、それはそれでいいのかもしれないしかし。「ずるくない?」それは、まあどうしてもついて回る否定、だ。
問題は、それだけではある…後、サーバー代が結構高いらしい。
採算的な話は良い話を聞かない、AI絵が売れて、みたいな事もあんまりない、らしい。「感情論」それを、課題として残しているAI絵は、まあ価値的には1/100だ、というのは…意外と堅牢な「規定」に成ってしまっている、のかも。
この辺から先は、まあ信仰の問題ではある。「大衆は神である」神は全て御見通し、ではある。なので、実際に手で描いたら30000円貰える場合でも、300円、とか言う数値それは、まあしょうがない話、かも。
事態その物は変わらない、一応、著作権フリー素材くらいには使える、というのは前に自分も言っている様な。
「感情論」を無視した先に有るのは、何かの喪失である…そう言うのは、一つの結果ではある。