割と深刻さはある。
遊休農地、というか耕作放棄地は、果たしてどうすればいいか。
前にも出たが、日本の農業従事者は30年前からすると半分になっているのに、スーパーから必要な農作物が消えた事は無いし、値段も相応だ。今でも農家は経営が厳しい、後継者が居ない、という深刻さを抱えたままで、その数少ない後継者もまた、近代化農法に取り組む結果で、昔より遥かに少ない労力で、倍近い生産力を見せてしまう。「農作物の生産に必要な農地は昔の半分で済む」事に成っている、訳だ。そして消費者も、減少傾向は続いている、「若者が少ない」結果、消費量も頭打ちであり。結局今の消費量では、「農地は今耕作してる以上には必要じゃない」訳で。
かつての半分以上の農地が、例え若者が居ても、その使い道が無いまま放置される事に成っている訳で。
果たしてそれは、整備して有れば良いのか?ではある。
「それが畑として運用可能な状態なら、1haあたり月額15000円出す」と言う、前提が「漫画やアニメが売れたら」と言うそんなプランを考えた事はある。体感的にもか、その位出してくれるのならやらない事も無い、そう言う感じの反映だが。しかし、”それ”であっても、その農地はただ「農地として使える」状態でしかなく、”そこ”では何も生産されていない、訳だ。ただ整備され、芝の様な平地に成ってる畑?は。それはそれで良いのか?ではある。
それはもちろん、その所有者の選択でしかない…訳だが。
しかし、すると、月額15000円出す、というそれの理由が、何となく弱くなる感じ。税金の無駄遣いでは?それは、無視出来ない声には成ってしまう。
”雅”市場、自身が提唱してる?「金本位制」を今は支えていると言う「人本位制」は、理想論では無尽蔵にお金を生産し得る、そんな感覚ではある。「一人の同意で一円」である。”それ”が集まる絵を描けば、それはその分のお金の担保に成る訳で、それをそのまま換金する事が可能になるなら、お金は必要分だけ生産できる訳だ。「大衆は神である」神がそれを必要だと言えば、それは存在する。漫画やアニメ、ゲームは必要か?もちろん必要だからこそ、それは文化、或いは市場として存在する訳で。
そしてその発展は、そのまま経済の発展でさえ有る。
今まで?は、その理解で続けては来たし、”それ”が上手く行っている…としたら、「1haあたり月額15000円出す」と言うそれも、決して無理じゃないだろうし、そして、単に整備されてる”だけ”の畑、それで何か問題が?そう言う気も、しない事も無い。月額15000円出るなら、そこで多少過剰な農作物が生産されて出荷、その結果で単価が安くなるにせよ?その15000円は、それを後ろで支える事には成る。多少の無駄は、許容される筈だ、が。
それは果たしてその、「今の耕作地に匹敵する遊休農地」それを、埋める?事には成るのだろうか。理屈の中では、広大な「何も作ってない整備されてるだけの畑」が存在する訳だ。それがそうである理由、それを”自身は”問題ないとしてしまうが、果たして。
問題の無い事を問題にしている感覚も、少しある。しかし。
「全ては漫画やアニメが売れれば解決する!」
そうだろうか。