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あげちうのブロマガ

地獄の中で神の意志に触れる

「大衆は神である」時、その決定には逆らわない方が良い、筈ではある。

しかしその時、その意向が現れる筈の「大賀さん」そこに有る答えと現状との異相は、果たして。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「儂が神じゃ」とかで出来た奴が幼女、とか言う展開の是非について

 

そもそも「ゼビウスって売れなかったんじゃない?」そう考えた方が色々と辻褄が合う…とか言う把握、そして自身の現状と理解、それから来る感覚ではある、数値は”何か”に制御されている。故に、表面的なデータは信用出来ない、その先にある現実を把握出来たらしたい、時。ともかく「大賀さん」である、「それは人々の為になるのか?」を基準にして、反論が無くなったら可決。その時、「良いゲームとは何?」と、現状とに多少かのズレが、ある。

ともかく明確なストーリー、そう言うのを持たない「ダークソウル3」は果たして?という、それは今、ちょっと執着する議題ではあるのだった。正直「ファランの城塞」を越えた時点で「飽きた」と言う感覚がちょっと深刻に支配しつつあって…その先にある「理由」の是非に、ちょっと思案中ではある。

要するに?”ここ”は地獄である。主人公は何かの失望或いは悲痛、それを背負ってここに来たのだ。その道の先には、自身の”それ”を打開し得る術、そう言うのが有る。自身の不幸、それは何が問題だったのか、それは倒せるのか。プレイヤーは、主人公それの抱える面倒を共に解決していく事になる、訳だが。

一つの答えは出た。ファランの騎士らは、「より上を!」目指す結果で内乱に発展した、その結果ではあり。それは何を踏んでしまったのか?「神を倒そうとした」神に委ねるだけでは解決しない問題まで踏み込んだからだ、が。そんな”彼ら”を倒す時、そこに有る答えはつまり「神に逆らっては成らない」それではある。

この場合、言うと「物理」だ、無理な事は無理と知る事で、致命的な破綻それを回避できる。貴方の悲痛その他もろもろは全て、自身の「無理」の先に有った、限度はある。”それ”を理解しないとファランの騎士は倒せなかった、というその時。

つまり、主人公?は「到達した」訳だ、地獄の果てに。

後は、帰れば良いだけ、ではある。

なのに、その先にまだ道が存在している。その先に有るのは「神への反抗」それでしかない、ゲームの世界で言うと「ドラクエ型RPGへの否定」或いは自身の優位その提示、みたいな何かで。この辺からメタくなるが、要するに制作サイド的にはファランの騎士共を倒せても「自身の優位性に変化が無い」訳だ。ドラクエ型RPGが家庭用ゲーム機の”神”に成ってしまっている、事実が覆らない。打倒である、自身はより上位である!事を立証せねば成らない、的に世界は続いていく。しかし?ドラクエ型RPGが”神”に選ばれたか、神を宿したモノだとした時、”それ”に逆らうのは神に逆らうに同じであり、それはファランの乱戦の再現に過ぎない、事には。

だとすると、この先に踏み込む理由それは有るのか?だ。色々考えた、「美鶴さんの長い妄想」が下敷きなら、”この”主人公には妹がいて、共に不幸に成った、筈ではある…彼女を探さねば。「主人公が女性の場合は?」キャラクターメイキングが出来るこの場合、内輪の話は含まれない、「いるとは断言できない」訳で。また仮にいたとしても、主人公と同じ道を進み、”理解”すればそれで脱出できる、筈ではあり。となると?この先にその影を見るのは徒労以前に無意味だ、という事には。

目的を考えると、物語はここでおしまいである。

感想は?「つまらないゲームだった」しょうもない結論、そんな理解に不意に落ちている。

”作者”には、強力な執着がある、神を超える!このゲームは結論で、プレイヤーは”その”先兵となって神へ挑み続けねば成らない、事には成る訳だが。”これ”が大ヒットした?のか?そう言う視点で考えると、そこにはやっぱり疑問が残って居る。そして、印象では”それ”は業界その物を覆っている…のだ。

「PS5は売れている」が、表側の販売本数事態はかなり、減少傾向らしい。

”現実に”隠された話が多い、それはまあ、思う。

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