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あげちうのブロマガ

勇者は神に戦いを挑む

ともかく現在の自分の状況を考えても、それは指向性を持った脅威である、のは間違いない訳で。

いわく「神を殺す!」そう言う執着の末に、特に3Dゲーム?の世界は構築されていた、様な。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「えー?違う戦いなら良いけど…」神にはその程度の面倒、かもしれないのだが。

 

一応、それは「バカバカしい」話、ではある。ドラクエ型RPGは、万人に平等に、”期待される結果”を提供し得る。アクションゲームはそうも行かない、上手い人と下手な人とでは”得られる物”に大きな境目が有る。どっちが良いシステム?という時、「平等」と言う基本原則から見るとドラクエ型RPGを超えるゲームシステム、というのはそんなにない、というか、無い。「そう言う物だ」と言う”神”の決定に対して、アクションゲームは納得しない、訳だ。

”それ”は神に相応しくない、我々の方が!

しかし、アクションゲームが酷い格差を産んでしまうモノである、それはどうにも成らない。

「面白いか?」と言うと…結局は「載せている物語」に依存する事には成る。そこから先は漫画などと同じ、だ。「漫画」と言うフォーマットは万人が認めた娯楽のそれではあって、ともかく「システムを独占しない」と言う視点では、良くも悪くもRPGツクール、というツールは今、結構重大な物に成っている、とは言える。最も「売れる作品が作れないんですが」それは、その先にある障壁が”漫画に匹敵する”倫理基準で選抜されるから、ではある訳で、システムが使えれば、という訳には行かない…それはそう。

ともかく結果、家庭用ゲーム業界?は、ドラクエ型RPGが発生させる「倫理」によって利益が支配されてしまった、そう言うのは多分。結構多くの人々か、意識は、”それ”に強い不快感を持っていた、訳だ。思った様な利益が出せない!

平成は、”それ”を覆す為に費やされた、そう言ってもいいのかもしれない。そして令和の今も未達、だ。

ゲーム制作者が、「不満」を障壁として”表現”する。プレイヤーはその「不満」が描かれた障壁に挑む事になる。アクションゲームなら割と私的な「あいつは敵だ!」が出来るとしても、ドラクエ型RPGは次第にか「マクロで見ての問題」とその打開を、題材に求める様になる。結果、ドラクエ型RPGは?アクションゲームに強い否定感を向け始めたりした、のだろうか。そして同時に「独占的な利益」に関しても重い否定を向ける事には成る。アクションゲームで如何に高得点を取っても、それは一銭にも成らない事態、それは発生する訳で。

誰が悪い、を、今も言い難い。対策も、混沌とはしている。

理解して、意図的に行われている、のか?ではある。製作者と、”多くのプレイヤー”が結託して、「神」を呪う事は出来る、そして発覚し難いし?罰し難い。独特な雰囲気はある、「これでは売れないのでは」を、何故か”多くの人々”がメディア上でか支持し、盛り上げようとする様は、妙な剣呑それを孕んでいたり、する。そのゲームは、その支持する人々にとっての脅威を物理的にか排除し得る、「呪い殺す事が出来る」訳だ。その象徴としてダークソウル3は今はあって、そして他の3Dゲームも、「評価」かを求め、”同じ様なモノ”を搭載してしまった…、そんな経緯は。

権力の暴走、だろうか。それとも自然発生的な、脅威?

ともかく「ドラクエ型RPGの方が万人向けだよね」世界は、”これ”に挑んでいる…それは深刻さがある。

変えようがない物理的な事象を、それは否定しようとしている、訳だ。そしてそれは今も上手く行ってない、そして、同じく彼らも諦めない。

どうしようもないバカバカしさが、まだ深刻に残って居るのか、違うのか。

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