ともかく今、自分も含め「売れない」理由として、「独裁創作だから」は、安定の原理には成る。
その時、「そうでもない」例が出ちゃう、というのもやっぱり、騒乱の原理でもある訳で。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
人の命を生贄にすれば出来る事がある、を求めるか否か。
やっぱり、「スーパーマリオブラザーズワンダー」は、ちょっと期待した売り上げには届かなそう?な、そんな結果こそが「ただしい」問題ない、に成っちゃってる感じは、ある。ティアキンもマリオ映画も?或いは今のアーマードコア6も、一応バイオRe4とかもそう、だ。「想定通り」の結果として出ている、”感じ”はある。この結果を他者が求めるのなら、この方向性に即した方が良い。しかし。
つまり、あげちうの言う事には逆らうな、という事だ。
表現として妥当なその様は正しいのか?は、ちょっと個人の把握の問題ではある。
ともかく表面的とは言え「アートスケールで100点」なんて作品を作るには、相応のパワー、技術、そして実績?それがないとまあ、無理だろう。ほぼ業界でのトップによる制作?それで有る事は間違いなさそうだ、が。”それ”で売れなかった、という結果はつまり、後は業界の誰がやっても同じだ、という話でもある。この「独裁創作は売れない」それは誰かの意向ではない、実際には”物理”だ。100mの断崖絶壁から飛び降りても、もしかしたら死なないかも、に挑戦する様でしかない。それを止めるのは、単なる人の道でしかなく。
作者が納得してくれれば、或いは今、”創作業界”でこの物理へ挑もうとする奴は消える、だろうか。
独裁創作は利益に成らない。
「牢陽帝」の記述を足場にするなら利益の可能性。
或いは、「ストリードの連携」それへの対応。
状況的に、商業創作としては”これ”以外での利益性、それは、無い。
結果で、”ここ”はかなり特殊な環境に置かれる、というのは…見れば解る話にはなる訳だけども。目的は、経済の回復と安定であり。その時、「お金を発生させる」術が、創作の利益性、そこにしかない、というのが現在の懸念で有って。”それ”を、「自分にはやりたい事が!」とかで崩される、のが非常にストレスになる…意識すると現場には死活問題だ。しかし?業界の最強が勝てない壁だという事になれば、ある程度の安定はある…後は自己責任だ、騒乱の火種には成らない。
ただ昭和の頃、「ゼビウス」はこの壁を前に、戦いを始めてしまった、経緯はある訳で。
それはその後、数多のストレスを産み続け、そして平成30年の悪夢を産んで、最後は飯塚幸三氏の重い過失、として幕を閉じる事には成った訳だが。重い教訓として残したい、とは個人的には思うがしかし。全て水面下での公式ではない話だ、というその事実は、ちょっとまだ深刻さは残る。
想定では、経済的な問題だけなら、「売れる創作」を創る事でどうにかなる、訳だ。単にその時、その内容が自身の願いとはすこしズレているだけだ。それは就職する先で必ずしも自分が「面白い」と思う仕事が出来る訳じゃない現実でもある。創作はれっきとした仕事である、その時、そこに要求されるモノは”普通”の仕事と大差ない、訳だが。
ちょっと創作だけ、何かの夢を見過ぎてた部分は、ある。
「世界」の外に出てしまったら、それはもういらないのだ。