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あげちうのブロマガ

金と言う不動と共に動かないモノ

思想の袋小路だ。

「”普通の人間”が王の権威に成る事は出来ない」

物理の壁が今も、超えられない。

期待される存在が、適当な訓練の末に期待される性能を発揮し、期待される治世を行う、という理想は、現状で物理的な「無理」に衝突してる。「ユダヤ教の王」も陥った、或いはそれが残した妄執の様なモノ、だろうか。出来ない奴には、出来ない。その上で、日本と言う国家は上手くやっては居る…のだが。それは「人は平等で無ければ成らない」その理想の前には、何かの歪にしか見えない。


その人は才能、適性、それとして新聞記者として有能だったかもしれないが、作家としては無能も良い所で、そもそも「作家業をしたいと言う感覚が無い」のに、それを外部?が無視する結果、それはやがて、壊滅的な破綻を起こした。

本人は、「作家としては無能」それで全然問題なかった、別にやりたいとも思わない。そんな頭の悪い生活をするなんて考えられない、アニメを見る様な低能共の顔色を窺う様な真似などしたくない。王に成れない?そんなのやりたい奴にやらせればいい、マスコミの仕事は”そいつ”を監視する事だ。

それは、個性の問題だ、ただそれはそれとして、因果応報だったかもしれないが、ともかく”それ”を期待し強要したかの存在には、重い過失は発生してる。逆に打開を、賠償を、責任を求められているが、本人にも?それへの対処能力は、無い。ただ、壊れた何かの様に、同じその理想に縋るだけ、だ。


耕作放棄地の問題が、不意に面倒なそれとして意識されては居る。

現状で農作物の生産量は充足していて、その上で就労人口は減っている。農作物をこれ以上創っても、市場は受け入れ先が無い。という事は?耕作放棄地を整備しても、”それ”が利益を発生させる、事は無い訳だ。と言う事は、売り先も無い訳で。所有者は、ただ所有してるだけが一番良い、整備費さえ、その土地は発生させないのだから。

「環境整備が無意味だと言うんですか?」

”そこ”にお金を払う必要はある、という感覚は、今の主体では無い。人本位制じゃないから、だ。金本位制はユダヤ教の思想を足場にする結果か、「環境整備」という、土地を起点にした感覚には理解が無い。全てが、縁日の出店の様なモノで、用が済んだら片づけて次に移動する、それの中にあった感覚は今、アメリカと言う、いや”地球”と言う定住先と共に、何かの物理的な限界に達している、訳だけども。

ユダヤ資本が、何時までもお金持ちだ、と言う幻想はもう、捨てた方が良い気はする。

…ただ”その”有力者らに方向性の変化を求める、という事にも、ちょっと壁は感じる。

彼らの意思決定は今、何処で行われているのか。

 

それは何を考えているのか。

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