結構該当者が多い、と言う事なのだろうか。
それは、果たして切り捨てて良い人々か。
「客が居なければ店は成り立たない。故に、客を食い物にしようとする奴を従業員として雇う理由は無いし、金を持ってない奴を客として扱う必要は無い」
人力発電機がある、時。「五体満足でお金を得る方法が無い」それはまあ、無い。故に、こういう正論?は言える訳だが。世界に5%程、自身の意向が通る、と言う状況だ、としても。95%が今まで正義としてきたのは少し違う”何か”だ。そこに有る理想を捨てて、こちらの5%の言う事を聞け、というそこに、多少の問題はある、かもしれない。
ともかく今までの「資本論」その環境では、切り捨てがどうしても発生してたし、それは今までの歴史としても、権力?独裁性とは切り離せない何かだった。そこに巣食い、”それ”を上手く熟せるスキルに活路を見出した、人々に今後、仕事が無い、と言うそれは果たして、ではある。
今までの歴史にしろ、面倒な何かとして残り続けた訳だが。
「鬼滅の刃」不意に、面倒さはある。”ここ”の理解で言えば、鬼の発生はシステム的な不備が原因、だ。故に、そのシステムを破壊し修正せねばならない、が。主人公らの敵意は”そこ”に向かっているか?と言うと実際は少し違う。その問題あるシステムを彼らは肯定?し、しかしその上で発生した「自身の家族の犠牲」それを打開しようとして、元凶?を倒しに行くだけ、というニュアンスは、微妙に何かの混沌とは隣接する。
現実へのフィードバックを考える時、敵側は、或いは「”問題ないシステム側”の浸食」かもしれない…訳だ。その時、主人公らは正義か?ではある。
誰か誰かは犠牲が出る現状で、その行為の正義それは、果たして。
ともかく自分の感覚ではこの作品、「美鶴さんの長い妄想」への”被せ”、というニュアンスは少し感じる部分だったりはする、それもあるだろうか。ともかく「美鶴さんの長い妄想」で、一つの打開はしてしまっている、のだ。”それ”の場に踏み込んできて「自分らがこの問題を打開しました!」と、或いは語らんとするのは、流石に問題はある。トレースだとしたら、需要はもう終わっている、済んだ事件を解決に来ました、という人々への、そんな視線はそこにある。
とはいえ、実際にはGAFAでさえ…そんな有様だったりはするのだけど。
実際には、”過失”を問われてはいるのかもしれない。責任とれ、とか、金を払え、とか、それは期待か何かの単なる幻聴だろうか、それとも。
特に、か。「独裁創作」それは、結局作品としては完全では無い。「両親を持たない」と言うか、あくまでも「作品の責任」を作者に問える状態、その個性から切り離されてないのだ、実際には「作者の一部」でしかない。そう言うのは、最終的には換金出来ない、と言う現実の方が重いかも。
でも”そう言うの”を金に変えてきた歴史は、或いはその罪は、容易く消えないと言う事は…有るだろうか。
先日の話はまあ、やっぱりある程度は、妄想だろう。
使用イメージ
https://publicdomainq.net/hasui-kawase-0036476/
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8043526