あげちうのブロマガ

「普通」という違和感の前で

相変らず、ハイパワー3Dゲームの環境には、入れてない自分ではある。

「タイタンフォール」は結局、否定されてしまった…そんな失望の中には有って。

 

その、古き良き「タイタンフォール」に感じたゲーム性、”それ”を、「機動戦士ガンダム 戦場の絆Ⅱ」に適用すると、以下のような変更になる。

最初にジオンか連邦か?を選択、投入するMSを自身の保有する機体の中から設定。
最大20機、しかし「比率」はその時の選択状況がそのまま適用される。連邦5機、ジオン15機も可能性。
※片方が0、という場合は同数が敵側としてAI機になる(その時は最大40機での戦闘に)。
ゲームは、敵のせん滅、タイムアップか、どっちかの機体が全滅したら終了。
ゲーム中はしかし、HPが0に成ったらゲームオーバー、しばらくウォッチは出来るがゲームから除外。
ゲーム終了時に、その戦績によって獲得するポイント、それにより機体ガチャとか強化とかが出来る。

要するにガンダムでPUBG、みたいな感じではある(わからん)。リスポーンが無い、というのは大事な話。この結果何が有るか?というと、戦力比の内容により「戦場」そのイメージが強くなる。前出の連邦5機、ジオン15機、とか言う絵では、「敵の罠にはまって窮地の連邦軍」だし、逆なら或いは残党狩りに見つかったジオン軍、ではあり。同数は拠点防衛戦みたいなニュアンス、ともかく戦場の「情景」が浮かびやすい。その上で、「撃墜されたらゲームオーバー」それは、戦場のリアル、それをまず感じさせてはくれる。

正に戦争映画かスターウォーズか、その中のモブかヒーローか、そう言う”感じ”の中で戦える訳で。

”感覚”としてはこの時、開始10秒で撃破されても「ですよねー」で苦笑して終わり、ではある。ゲーム性、勝利を目指す!というより、その場の雰囲気、そう言うのが要求の主体。TRPG、その本来の「ロールプレイ」という”遊び”に求められる物がそれで得られる訳で、それはそれとして、「次の役柄」そう言うのを目指す時、プレイは続く事になる訳だが。

ちょっと今の、市場を形成する?「普通」に対して、冒険以前のそれ、かもしれないのだった。

「タイタンフォール」も、最初は上の雰囲気だったしゲームシステムその物も、「戦場の兵士」という雰囲気をまず大前提にされてて、故にか?最初は結構マッチングに波があった、簡単に勝てる場合も、圧倒される事もしばしばで、ただ逆にそれが、その「戦場の雰囲気」そう言うのをより感じさせてはくれた訳だけども。

次第に、マッチングが「均等」になるようになって行って、戦場、というニュアンスは薄れていき、そして今は、戦闘競技、「戦争を楽しむ」という感じのオチに成ってしまった、訳だが。

ともかく、ガンダムに「楽しい戦争」そう言うニュアンスはノ―サンキュー、ではあるとは思う。それでいてリアリティの無さ、それも否定はされる。「なんだよこの理不尽」的な、現実的な”そう言うの”をこそ求める、じゃないと現実の戦争を否定する感覚に繋がらない。「この作品を遊ぶ事で戦争は遠のいていく」という感覚があるからこそ「面白い」がそこにある。悪夢として消して良いそれはある、それを消していくのは快楽だ。そこにお金は投入できる。

…何故か世界は今、病的に、”こういう感覚”それを、否定し切り捨てようとはしている。

キャパシティの無さか、ともかくそれは世間に、想像以上に重い窮乏感を招いては居る訳だが。

「漫画だから」それは、相変わらず奇妙な空虚さと共に。

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