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あげちうのブロマガ

元凶へ向けた憤慨の暴論

それは、先日の知人との会話だ。

「現場で俺が一番若いんだよw、若い奴が居ないんだよね」


”それ”は、農業の現場でも似た様な状況ではある、のだが。最近は少し、幸いと言うか…若い人々も居て、多少か、活気もある?感じもしないでも、無い…もちろん売り上げが良い、訳でも無いのだが。自分の今の視野範囲で、若手の活躍してる場所、なんてそう言えばアニメか漫画のそれくらいしか知らない。若手が居ない、と言う話は、結構何処でも聞く話だ。

…不意に思う、彼らは何処で、仕事をしているのだ?


これは、先日の感覚から続いてる「事態の推察」ではある。「仕事が無い」それは、個人的には就職氷河期世代ならまだ解る、50近い奴を雇う、なんて相当のアレだ、という把握だがしかし。”その”感覚で創った「コアグランの悪夢」に対して、少なからずあるだろう「世間」の反応?それは、何だか不意に…ちょっとニュアンスが違う。

無意味なレベルで、卑屈というべきか、ただ、それは”実感を伴っているモノ”だ。

「仕事しろよ無能共」
「悪かったね、自分ら無能だから、仕事無いんですよね」

”事実として”だ、その場に居る人々に仕事は無い、物理的にだ、需要と言うか、職場、必要性?”それ”が無い。

の?


農業の世界でもある、「一人で田を20ha維持出来れば年間500万円は見える」とか言う机上の言い分はでも、この界隈で利益性を上げようとしたら”そうなる”だけだ、人員を減らしつつ、如何に量産するか。出来る奴は、そのベクトルでは有能だろう、しかしこの結果、或いは10人以上の雇用?”それ”は喪失する。

しかし、世界は「有能さ」それを、こっちに向けてしまった、そんな現状はあって。

結果、想像以上に今、「貴方は要らない」無能では無い、”いらない”、それに陥ってる人々が、実は30、40代にも無視出来ないレベルで多い…のでは?

価値観の問題として、”それ”での具体例はある。

ウクライナのゼレンスキー大統領、だ。

大統領としては、結論で国を富ませるどころか、致命的な事態に陥らせてしまった。自覚し得る無能さは”そこ”にあるのでは無かろうか。それはでも、あの「ユダヤ教の王」それも陥った”何か”ではある。やる事成す事、何やっても上手く行かない、その理想かの先に見えるのは何故か、奈落への一本道だ。

なんで、こんな歌が有る物か。

昔の台詞はキツかった、と言うのはある。今も辛いが。

「アートスケールで30点以下の作品はゴミと同じだ。それ以上のクオリティじゃないと買えないし、それ以下しか創れないなら要らない」

昔は。
「才能が無い奴を使うつもりは無い」


一応、主張的には、前者はまだ努力の余地はある、が。後者には無い。後者は要らなかったと言うか、まあ氷河期世代の倫理観か、「努力すれば何とかなる」無能なのは”それ”をやってないから、ってのは言われる迄もなく不文律だった、が。平成の始まりはまだ、自分も”それ”を実感してた部分はある、が。今は…どうだろう。

ともかく、「コアグランの悪夢」そのカウント数値は、低い。
この場で、”これ”を上げる術は、ちょっと見えない。


「ストリードの連携」それは、もちろん就職氷河期世代、その辺の価値観で構築された”何か”ではある…良くマッチしている、のだろうが。それだけに、今の世代?環境には、ちょっと受け付けない様な物、なのかもしれない。


…だったら、どうすべきか。

ただまあ、打開案を提示する時点で、彼らは受け付けないのかもしれないが。

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