自分は、支持はする。
ただ、それに対して否定的な意見がある、それもまた、現実としてはある。
今後どうするか?ではある。需要、創作のそれ。それとして”何”を提供していくべきか?だ。自分の場合は変わっていない、大衆は神である、”それ”が求める物をただ、愚直に、だ。ただ、これは自身のそれであり他の会社、それにはかなりのズレは発生する。
その時、そのコンセプトそれは、世間に通用するモノか?そう言う面は有って。
「戦いに勝てる力、”それ”を提供する」今後、大事に成るのは市場、或いは世間、”そこ”で勝てるそう言う物、だ。紛争解決機構、それにより統制される時、”その”戦場で勝つ、それこそが必要。その為に何が必要か?何をするべきか、だ。それへの解答、提言、そう言うのを、自身らの必要性も踏まえ、探求していく。
ここまでは、良い。ともかく今後、必要なのは「勝つ事」だ。それを目指すなら、それに挑むそれは解る。ただそこで直ぐに、反論はある。
勝てるんですか?
今まで負けているのに?
その時、「勝利」それを目指せる根拠と、結果、それはやっぱり、問われる。
現場的に、”上”がそのつもりなら、相応の、自身らのそれを投入するそれは、問題ない。ただ、紛争解決機構それを前にした時、「絶対に」それは、無い。例え3倍の戦力で挑んでも、負ける時には負けるのだ、そして失われ、「いったい何の為に」その虚無を背負う事に成る。その可能性それは、戦場を肯定する限りは常にそこに有る、絶対は無い。
それは、その上での、もちろん、「意気込み」そう言う物でしかない、それは解っている事、だが。
”そこ”で発生する否定感、それはどれだけ問題に成っていくか、それは良く解らない。
今まで後退し続けたそこから、それは或いは、市場へ分け入っていかねばならない、のだ。そのコンセプト、それは市場に受け入れて貰えるか?だ。一応、コンセプトを前に、トライ&エラーの繰り返ししかない、”次”を残しつつ、挑戦を続けるそれが、この時の「やらねばならない事」それには成るのだろうが。
必要性を否定は出来ない、勝たねば通らないのだ、今後は。”それ”への追及、それは必要であり他が明言していないなら、それはその場の独自、そう言う物として有る。
という訳で、勝てる兵器を創ろう!
意欲はともかく、また、崖の下でじたばたしている気もする。
ともかく、「意味」必要、それは挑戦を前にしては大事な話ではあり、何を持って挑むか?で、「失敗」に耐えられるそう言うのは、出てくる。
そのコンセプトは、明らかに徒労でしかないそれを前に、そこに有り続けるか否か。
先人は、良くも悪くもその試練を通って、そこに有る。その「些細なアイディア」も、しかし、重く見えない深淵を背にして浮かんだ物、だ。それを蓄積せねば、結局は浮かぶ物も無い、一つの成功その後ろには、その百倍の失敗は、間違いなくある。
無意味、それは無い、投入した労苦それは「適当」な所へ投入されて行く。その時、自分は何に対して挑んでいるか?そして、結果は。
「勝てるガンプラ」それは、明らかにだ、直ぐには創れない。
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