それは、想定である。
一万人の中で、二人だけが、”他の同意を得られない”理由で、反発している。
それに道理はない、だから、それ以下はもう無視して良い。
この感覚は、”雅”市場の、このルールが改訂される条件、として、利用者の99.98%の「否定」それが有った時、このルールは意味を失う、という規約はある、そこからの逆に成る訳だが。
%としては、100万人の中で200人、一千万人なら2000人、適当な戦力でさえ有る。
これはミャンマーのクーデター、その時にも感じたが、ミャンマー人口の0.02%以下の決定に不服ある存在は犠牲になっても、「大賀さんの決定に反する存在」反逆者として処理して良い、という意味だ。幸い?と言うか…一応、今の所は犠牲者は、”これ以下”ではある。最大で一万人規模が処刑されても、”雅”市場としては「問題ない」のだ。
もちろん?これは今のワクチンに対しても適用し得る話だ。うっかりすると、新型コロナウイルスで死亡するよりも、ワクチン接種で死ぬ方が確率が高くさえ有る。それでも、ワクチンの接種は薦められてるし、しない存在は社会的な不利益さえ検討されている状況、「民主主義」と言うべきか、その、一つの疑問点ではある訳だけど。
「新型コロナウイルスは、強奪連鎖に反応して活性化する。だから、そう言うのの無い環境なら、このウイルスは活性化しない」
という説を提唱する自分としては…ワクチンは打つつもりが無い、訳だが。逆説的なモノもある、自身の運の悪さは折り紙付きだ、”それ”で死んだら笑い話でしかない。しなくて良いなら、無理して辛い思いをする必要も無い、これは自分の理解の中では、単なる風邪である。
一応、こういう「理由」少なからずの同意?それがある物を提示しての0.02%以下、というのは無視出来ない、そこには多くの人々の同意がある、それは民意だ、少数派とも言い難い訳だ。”それ”は無視出来ない。ただ?「私の思い通りに成ってない!」それは、何の根拠も理由も無い、それでは他の同意は得られないだろう、0.02%以下、そこに居るのは”そう言う存在”の筈、である。
それは、廃棄しても良い。
しかし最近語られる、新型コロナウイルスの、若い世代の奇異な死も、その%にしたら「問題ないイレギュラー」ではある。第5種に、普通のインフルエンザ並みの扱いにしておけば、このイレギュラーは存在しないのだ、それでも、0.02%以下のイレギュラーは無視して良い、そう言う選択として、それは正当化される。
そうだろうか。
ともかく根っこにあるのは「人間が喰えなくなる!」或いは、そんな悲痛だ。世界が終るレベルでの恐慌は、果たして何時まで続くか。
自分の視点では、そういう。
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