「ゲームが創りたい」時、自分は今、その環境を持っている。
「何で創らないの?」と言うと、創っても売れないから、だ。
求められて、無い。
自分が「美鶴さんの長い妄想」を創った時の、或いはその開発環境に、ほぼ匹敵するかそれ以上か、”それ”は今、一万円も出せば目の前にある。何というか、欲しいモノ?だったろうか、こういう感じは、自分は確かに求めたのだ、一人でゲームが創れるだろう、そんな環境。
目的にはもちろん、届いていない。
環境だけ改良しても、本質的なそれは全く変わってない…一人で創っても、売れない。
無意味だったか?と言う、それはそうでも無い、その時、求めた物は手に入った訳で。
単に、それを創った「理解」には不足があった、それだけの話。
自身の目的を達する為に、何が必要か?
求めよ、されば与えられん。
その時?その求めた物は、一年近くを費やして創ったそれには、不足が有った訳で。
この環境はじゃあ無意味か?と言うと、別にこの環境で「売れる様に」創れば良い。
「RPGツクール」それで、相応の利益を出してるチームも居るだろう、道はある。
単に、自分には、自分の今の状況には無い、だけだ。
無意味だったと言えばそうだし、違うと言えば、そう。
それを不足と言うべきか、或いは。
ともかく結果に問題は無い、”理解が足りなかった”だけだ。
打開を目指すなら、もっと違うアプローチが必要だった?
そうだろうか、その辺も疑問だ、最善を尽くした気はする、その結果ではあり。
それを言うならインターネット自身も、「私が求めた物」の、一つではあろうか。
気づくと「黄昏の狩人」それを下敷きにしていたこの環境は、そこに記された目的、”それ”はある意味で、明確に再現している。人々は、ネットを通じて常に繋がっているのだ。
しかしそれは結局、自身の期待通りと言うそれでは無かった…部分は、結構有る。
その結果、独裁創作、”それ”は明確に許されなくなってしまった。
「その」環境での独断と偏見で換金、と言う事が、今もってなお、出来ない。
世界はインターネットのせいで、常にマクロな視線に晒される事に成ってしまって。
「マクロで見て許容できるか否か?」にしか、それは換金性を与えなくなった。
神は、「貴方が求めたモノを提供しただけ」だ。
今、目の前に有る物は?その結果としてそこに有る。
そう言う物だ、と言うか。
これが現実である、と言うか。
そして、「これ以上は無い」環境、と言うか。
”神”は何もしない、求められた物を?ただ提供するだけだ、その結果と共に。
一人を、家族を守るそれは良いが、”その他”を無視するならその他の恨みも悲痛も買うだろう。それを前にしても、そっちの方が良いか?
それは、常に問われる。そしてその結果、自身の願い?その物が破壊されるだろう、そう言う忠告の様なモノも、そこには有る。
これが現実である、その中で我々は生きているのだ。
或いは、漫画の中の人々であってもだ、その世界の何かからは逃れられない。
「仕事をしろ」
それは何処まで、人を追うのだろう。
”仕事”とは何か、そして対価とは、何だろうか。
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https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10500557
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