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あげちうのブロマガ

偉人の椅子は質素な屋敷の中に

感情論と理屈は、何かの対立をしている…というのはまあ、ちょっとある。

理性的に活動すべき、その時草案の多くは不可になる、妥当、それと要求の狭間がそこに。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

実際には「今月も苦しいねぇ」とか言う会話は問題しかないのだけども・・・

 

今の理屈で言えば、「他者を侵略する必要は無い」訳で。今までの感覚?「勝てば通る」取れる、というそれは理屈としては、無い。”全体”から要求される「仕事」をする結果、そこに利益が発生するのでそれを得て暮らす、というのが基本原則。もちろん、その時博打か競争みたいな”仕事”というのも当然そこにはある訳だが…そこに希望はあるか?というと、有るのはかなりロジカルな実力主義の世界でしかない。

或いは「紛争解決機構」その存在もあり、弱いなら始まる前から負けている、それは良く解る。

一応、とは言っても、突然か阪神が優勝したりして、天気も怪しいそんな状況はある。下剋上、というか…勝った負けたは神のみぞ知る、というべきか。「勝てる時は勝てる」最下層それは負ける理由に成るか?というと、それでもこの結果は「違う」そう言う事には成るのかもしれない。勝てる様に戦うべきではある、その時その戦場では、上位か下位かは無関係だ。

問題は何一つない、この時しかし、「つまりあなたが貧乏なのはあなたの自助努力が不足しているから」そう、システムは突っぱねる事には、成る?

…自分の現状を見ても、それでいいと言えるか?は、ちょっと最近でなくても謎ではある。行動は著しく制限され、大して「面白い」事もない、日々何かのストレスの中で、「もうちょっと」に届かないもどかしさと、結果で具現化しない「当たり前」との境目で、愚痴は無意味の海へと垂れ流されている…そんな。自身の視点での道理は、何かのもっと違う道理の前で、理不尽に負けて歪まされてはいる。そこにストレスが無い訳ではない、が。今は信仰に依存し自身を維持している、様な感じで。

大衆は神である。

その決定こそが最善である。

それに従っている限り、間違いは起きない。

(一般論で)問題も起きずに暮らせているという事は、それでもまだ幸運に近い話、なのだろうか?

そんな折、良くも悪くも「昭和天皇」そのエピソードなんかも流れて来て、彼を「王の権威」そう意識する時?それは必定かの様な、そんな暮らしの中にはやっぱりあった訳で。つぎはぎの制服、質素な住まいと食事。天皇陛下、というにはおおよそイメージが届かないその中に、今の自分も居るかもしれないとなると、「妥当」それはやっぱり、断言される感覚は不意に、ある。

ただともかく、ガザ地区の悲痛は今も継続中ではあり、戦争”それ”は終わっていない。

それは或いは、自身の疑問?それにも関係はあるのだろうか。

”これ”は正しいのか?

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