あげちうのブロマガ

理想を目指した果ての部屋

貴方は牢陽帝だから。

”自分で”言った、それが現実である、と言う感覚で…何かの安定こそあるのだが。

上手く行ってますか?

少なくとも自分はそう言う感じはしません。
「電源」に上手く行くも行かないもないけど。
安定してる事”だけ”が、それへの要求ではある。

多分、「面白くない」と言う、そう言う評価と共にこの座はある。
つまり、働いては居る、筈なのだ。自身もまあ、PCの電源に関しては「安定してて当然」と言うのは要求してる事ではあるが。

”それ”を単に、自身が、仕事として要求されてる…それに何か、問題が?


あらゆる事例に対して現状、説明?は出来てしまう。牢陽帝、現行の”雅”市場の作者、それは権限や能力的にも”システムその物を破壊しかねない”ので、十分な安全装置と共に行動も存在も制限される。それさえ押さえこむ事が出来れば、後はそれ以下だ、システムに逆らう事が出来ないなら、その環境に不平等は無い、その各自が持ちうる才能をいかんなく発揮して貰えば、つまり世界は救える。

「牢陽帝」それに関しても、その説明は「正当な評価」だ。ある意味で、”求めた評価の帰結”ではある、そして?その結果はもちろん、本人がその創作に対して理想として投影したモノだ。ほぼ万全の反論はそこに有り、そして、それは具象でもあり。

”そこ”に有るのは動いているのはシステムであって、”誰か”では無い。サイコロの出目は相変わらず任意には成らない、そして最終的には”それ”を軸にした構造は、誰かの任意で動く、そう言う物では無い…単なる「環境」だ。許容された中で、人は自由が許される、もちろん、責任と共に。


勝てばいい、訳だが。

「創作の”中”にリアルを見てください」それは果たして、正当なる要求だろうか?

「物語」それは、”異世界の光景”だ。そこに居るキャラクター、それが投影されてるモノもまた、”異世界に居る存在”である。実在はしても、現実のこの宇宙には居ない。それへの投入が、評価と共に現実へフィードバックしてくる、それを期待し、物語は紡がれる。

この話は、かなり前々から言っていた事だった、筈ではある。検証が終った、というべきだろうか?ともかく「上手く行かない!」求める評価が貰えない、のは。「対抗するパワーが壁に成ってる」から、だ。それに対して対抗し得る戦力を、まだ形成出来てない。その上で、状況の改善を目指さねばならない訳で…でも、「普通」の話だ。理想を唱えれば唱える程に、その「現実の自分の戦力」はハッキリしてくる、漫画的には勝たないと話に成らないそれはでも、物理的には、無理だ。

サイコロの出目とは、感情に訴えて変化し得るか?は、その時、そこに有る物に聞くしかない…と言う気はする。

甲子園は今年、何とか開催された。”そこ”は目指すべき理想の世界、そこでの意欲と願いと悲喜こもごも、それを含んでの「理想」ではある。平等かつ対等な環境の元で、最終的な栄光を手にするのは、勝利したその一校しかない。”それ”を目指す時、そこには負ける現実、それもまたある。

「理想」それはでも、多数決じゃないのだ。

解っている、解っている事だ、しかし。

東京オリンピックは日本人のみの観戦と言う事になった。
正当なる帰結か、あるいは。

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