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あげちうのブロマガ

責任と言う王冠の行方

「私だけ特別扱いしろ!」が、一般論でなくても通らない、のは当たり前の話、ではあるが。

しかし”そこ”から今も、言い掛かりでしか無くても「不満」が表明されるのも現実ではある。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

一つ目国に紛れ込んだ二つ目、みたいな感覚はふいに有るのかも。

 

ともかく「バンダイナムコ」の中では、バンダイが上位、Namcoが下位には相当する。バンダイはNamcoに「売れるコンテンツを創って?」と要望する。Namcoはそれに応じてコンテンツを創り売って。それの推移によりバンダイが量産化その他の換金を行う。その際のお金の一部がNamcoに支払われ、そして同じループに入る。

立場的にはほぼ等価、ではある。バンダイはNamcoのコンテンツが無ければ量産出来ない、Namcoはバンダイの売り上げが無ければ開発費も出ない。それはそれでしかし、バンダイが上、Namcoが下、ではあり。表裏を形成する事で、両社は「仕事をしている」という絵になる訳だが。

同人の領域では、もちろんこんな構図を使う理由なんか無いのだ。自由を妨げる理不尽、でしかない。

「仕事だから」が、その領域では通らない。一応、ここでも線引きはある、プロと同人の境目。プロで有るならクライアントが居て、それに応じる事で対価は得られる。同人には居ない。「お金はどうするんです?」多くが、日常で働いた利益による、ほぼ自腹買い、みたいな帰結である。当たり前で有り物理でもある。同人の理想?では、そこにお金は発生しない、「たのしい」を対価にした、単なる消費でしかない。

民尊主義的には、同人の流儀を否定する事は、物理的事象を背に否定する事は容易いのだが。

根の深い話はあるかもしれない。「会社」の構造を考えた時、”社長”はその社の独裁者、ではある。杓子定規に「下は上から査定される」を適用していくと、社長を査定する存在が居なくなる、という帰結はある。それは何処かで変えてないと、その社はワンマンに陥り、要するには「同人化」し?停滞が始まる。ただ、今までの「会社」は、そう言う懸念に対処をしてきたか?ではある。「取締役の人々に社長は査定される」と言う絵が無ければ、社長はただ自身の衝動で会社を運営できる、事には。

今も、そう言う会社は多いだろう?し、法で否定されている、としても、社内の話は何時、外部に漏れるのか?だ。社長と言う横暴が存在していた、それに対して対抗するには同じかそれ以上の「独裁」を纏うしかなかった?そう言う事情は、この界隈にはあったのかも。

何処まで、「バンダイナムコ」と言う存在は業界にとって大きな名前か?ではある。少なくともサブカルチャーの領域では最高峰、だろうか。そこに、いや「バンダイがコンテンツを買っていた会社」に、その要素が色濃く出ていた、と言う可能性は結構ある、訳だ。ガンダムが看板商品に成った時、サンライズに”それ”は伸し掛かり、しかしテレビゲームがテレビに「勝った」時、それはNamcoに依存…を始めた?そう言う事も或いは。昔ながらのゲーム会社でしか無かったNamcoはその中で、どうなっていたか、ではある。

特にNamcoに対して、改変が働いた、可能性はある。

結果でしか解らないが、ならコミケも少し、絵を変えるだろうか?

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