カウカウタイム

日本で働くいち美容師がハワイでヘアメイクアップアーティストになるまでの日々の記録 2008〜2012

Big Island 1

2010-02-27 | 〜2011迄のハワイ生活記録

暫くのご無沙汰でした



Zabonが帰った後、すぐにMegがやって来て10日ほど一緒に過ごす間に
ハワイ島に小旅行に行ったり、弁護士さんに会ったりしていて
何かと慌ただしかった2月

気が付けばもう後半になっていました



約20年ぶりに行ったハワイ島
何もかも大きくて凄かった

普段暮らすオアフとは全く違う表情を持っていて
とても遠くまで旅をしたような気がした



私とハワイ島との初めての繋がりは中学生時代にさかのぼる


ある日母が、話があるからちょっと来なさいと私を呼んだ
めんどくさいと思いつつ、目の前に座った私に母は率直に言った

「お母さん達、ハワイ島に土地を買ったの。
 お父さんが定年したらそこに家を建てて移り住むから、この家もその時には売るつもりなの。

 だからいつまでもここに住めると思わないで、自分の将来は今からしっかり考えておいてね。」


中学生には「高校卒業したらとっとと出ていけ」とも取れる発言だったが、両親は本気だった



芸術系の専門学校に進むか、就職かを迷った時も母は言った。

「どうしても行きたいなら(専門に)行かせてあげる事は出来る。
 私は親だから、あなたの将来に責任がある。

 でもタダ何となく行きたいぐらいの気持ちならやめてほしい。
 お母さんには夢があるの。邪魔しないでね。」


専門学校の2年分の高価な授業料が書かれた案内書を前に
またしても母の目は本気だった



ハワイ島に行ったのはそのすぐ後ぐらいだっただろうか

家族4人での旅行で、私たち姉妹にとっては初めてのハワイだった


旅の目的は「植樹」


不動産屋のおじさんの車に乗せられて
何もない道を何時間も走った

地平線が見えるような何にもない場所におろされて
照りつける太陽の下、父と2人シャベルで穴を掘ってココヤシとプルメリアの苗を植えた

「10年後、お父さんが家を建てる時にはこの椰子の木はかなりでっかくなっているな」


残念ながらこの父言葉は叶わず、この土地は手放す事になった

こんな場所で数ヶ月も家を空けていれば
あっという間に家ごと盗まれてしまう

ハワイでは地震がなく、家の基礎が簡単な為
小さな家はトレーラーで持って行かれてしまうそうだ

それを防ぐには同じ土地の中に使用人の家を建て
住み込みで管理してもらうしかない
当然そんなお金は無いので、残念ながら10年近く暖めてきた「夢の一軒家計画」は白紙になってしまった


ナゼもっと早くこの事実に気が付かなかったのか…


しかしその数年後、両親は予定より5年も早く退職して本当にハワイに行ってしまった
行き先をハワイ島からオアフ島ワイキキに変更したのだ


結果的にはその方が良かったと今は思う


10年あまり、ハワイでの第二の人生を満喫した両親は
現在日本で第三の人生をエンジョイしているが

それと入れ替わるように私がこちらに来る事になったのには変な因果を感じてしまう





20年ぶりにハワイ島の空港に降り立ってみた物の、当時の記憶は全く無く

かつての夢の土地も全くどこだか解らない

来る前に母に聞いて来ればよかったな、と思った


ただ

「わあ~~、何もない!」と言いつつ その何も無さに懐かしさを覚えたのは

頭の奥のどこかがこの島を覚えていたからかも知れない








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