「靖国神社」の続きです。
A級戦犯と言われる言葉、よく言われる東京裁判史観、これは何としても払拭しなければならない問題で、ここに現在の靖国神社の問題点があるそうです。
本当の日本人なら、既にこれだけ色々な資料が戦後発掘され発表されているので当然、自分で考えればわかるはずですが、相変わらずそのことを押し通している人が多いそうです。
幸い、基本教育法だけは変えられました。
60年も憲法と同時にほったらかしになっていた教育基本法ですが、これを良い方へ変えたのは安倍前首相の功績だと思います。
しかし、まだ憲法改正への道は先が長いと書いていました。
GHQがチャンスがあれば廃止したい、閉鎖したいと思っていた靖国神社と護国神社が致命的な後遺症を残すことなく神社として存続できた1番の要因は、やはり遺族や生還できた戦友を中心とする当時の一般国民が、その存続に大きな熱意をもって努力したことです。
もう1つは、天皇陛下の靖国神社と護国神社に対する思いが強いものであったことです。
終戦直後の混乱で専門の方がいなかったため、靖国神社では神職が交代でやろうとしましたが、とても手が足りない。
そのお手伝いをするという趣旨で、各宮家の妃殿下十一方が浄書をなさったということが、社務日誌に書かれているそうです。
間違いなく昭和天皇の御心によるものと思われますと書いていました。
最後は歴代の首相についてです。
靖国神社の公式記録としては首相名で春秋の例大祭に真榊を奉納したのは、昭和30年4月の鳩山首相からとなっているそうです。
それまでの公的記録が見つかっていないとしても、昭和26年の吉田参拝が最初であることは間違いないと書いていました。
歴代首相の真榊奉納は昭和60年秋季例大祭に中曽根康弘首相が行ったのを最後として途絶えました。
平成19年の春の例大祭に安倍元首相が真榊を奉納したことが新聞で報じられたそうです。
小泉首相の靖国神社参拝は総裁選の公約に反して2日前倒しであったこと、それから中曽根首相と同様な一礼方式であったことなど、批判や問題点が指摘されました。
それでも5年の在任中に6回も参拝したという意味は大きいと書いていました。
自民党の単独政権ではなく、自公の連立政権でした。
公明党は、中国と近くその意向を体して靖国神社参拝に反対していました。
閣内には中国のメッセンジャーで、あからさまに参拝反対を主張する田中眞紀子外相がおり、党と内閣の要である山崎拓幹事長と福田康夫官房長官は慎重派であって、その上、中国や韓国、少なからぬ日本のメディア勢力が参拝に反対して、強固な包囲網を作っていました。