蕎麦打ちが来週になりました~。
その蕎麦粉の試し挽きをしましたよ!
まず、昨年、ジャリジャリした蕎麦になってしまったことや、どんなに水回しを丁寧にしてもつながらない切れ切れの蕎麦になったことなどの原因を習いに行きまして。
*ジャリジャリは、蕎麦の実の石抜き不足。
*つながらない蕎麦になったのは、蕎麦の実の水分量が問題(乾燥しすぎ)だったということ。
そこで、今年はちゃ~んと石抜きをして(石抜き機に先生にかけていただいた)、そして蕎麦の実の乾燥状態も金末さんが干す時間を短くしたりして丁寧に調整しました!蕎麦挽き・ふるいも金末さん。
ドキドキしながら受け取った蕎麦粉を持って、そば打ちの先生のところに持っていったら、「なかなかいい粉になっているよ」と言っていただき、ホッと安心!なんとその場で打ってくださり、おいしいお蕎麦を一足先にいただいちゃいました♪
14日、みんなで打つ日が楽しみです!
その蕎麦粉の試し挽きをしましたよ!
まず、昨年、ジャリジャリした蕎麦になってしまったことや、どんなに水回しを丁寧にしてもつながらない切れ切れの蕎麦になったことなどの原因を習いに行きまして。
*ジャリジャリは、蕎麦の実の石抜き不足。
*つながらない蕎麦になったのは、蕎麦の実の水分量が問題(乾燥しすぎ)だったということ。
そこで、今年はちゃ~んと石抜きをして(石抜き機に先生にかけていただいた)、そして蕎麦の実の乾燥状態も金末さんが干す時間を短くしたりして丁寧に調整しました!蕎麦挽き・ふるいも金末さん。
ドキドキしながら受け取った蕎麦粉を持って、そば打ちの先生のところに持っていったら、「なかなかいい粉になっているよ」と言っていただき、ホッと安心!なんとその場で打ってくださり、おいしいお蕎麦を一足先にいただいちゃいました♪
14日、みんなで打つ日が楽しみです!
うまそうで、食べたくなったではありませぬか!(笑)
やっぱ、手打ち蕎麦はうまいっ!です。
五島列島、いいなあ、いいなあ。
おいしいお魚、島の情緒・・・
いいなあ、いいなあ。
明日は、ついにそば打ち!
切れない蕎麦を打てるか!?
報告に乞うご期待!!
美味しい蕎麦が食べられて、大満足でした。
それにしても、蕎麦を打つのって本当に難しいですね。
お土産に持って帰った蕎麦は、昨夜「かもそば鍋」にしました。蕎麦つゆを土鍋で煮て、そこに野菜と合鴨の肉(かも鍋用にスライスしてあるものを使いました)を入れつつ食べて、かもの味が出たところで蕎麦を入れて食べる。この美味しさをどう表現したものか・・・。手打ちでコシのある蕎麦なので、多少煮てもどろどろになったりせず、かものダシをよーく吸って、美味しいの何のって。子どもたちも、狂ったように食べていました。
ひょんなきっかけで、参加することになりましたが、子どもたちも私もすっかり古参のような顔をして楽しんでいます。
「縁」があったんでしょうね。
この「縁」を大事にしたいです。
来年は、蕎麦の種も蒔きたいし、田植えも、稲刈りもしたいです。いっぱい参加させてくださいね。
え~~~!食べたいっ!!
お呼ばれしたかった!
来年ほしはらで自給的に食べようって思ったら、
鴨も育てるのか!?う~ん、そ・れ・は・・・
アイガモ米!?
BUT・・・鴨の世話はどうするのか、
参加者といっしょに鶏をつぶすのか、
課題は山積みだなあ。。。
昔の人は、鶏を飼って、特別な日に
いただいていたんだろうなあ。。。
猪をさばける人がまだまだ住んでいるこの里の
この「人間」の残酷さと食べ物の関係に
食育はまだあんまり踏み込んでいないのかもしれませんね。
鴨から発展していろいろと考えてしまいました。
植物だったり、動物だったり。
小学校でブタを育ててそれを皆で食べよう。。。という試みがされたこともあるらしいですね。
そこで食べるのか、どうするのか、目の前でさばくのか。。。何が良いのかはわからないけど、そこで立ち止まって考えたり、目をそむけてしまったり、じっと見つめたり。そういう経験って小さいころにしておいた方が良いと私も考えた時期がありました。
猪狩りという体験をインターネットで探したんだけど、適当なものが見つからず、そのままです。
また、この辺では道でよく野生の動物が交通事故で死んでいます。
核家族化で死をいうものを身近に体験できない今の時代。誰もが必ずいつかは死ぬ事。生きているということはいつかは死を迎えなければいけないこと。
死とどうやって向き合うのか、生きるということとどう向き合うのか。
とても大事なテーマだと思うのです。
私もいろんなことを考えました。
でも、こういう話をすると、残酷だとか、子供の前でそんな話をするなとか、考える人も多い。
物事を深く考えたり、自分の心で感じたり、してほしい。
山の学校は、ただ体験するだけではなく、ただ楽しいだけではなく、農作業をしておいしい食物を生産してくださる方の苦労や手間や姿勢を感じてほしくて通っているという面もあります。
まだ、そんな事は当然わからないわけだけど、でもいつか自分で気がつくと思うのです。
>そういう経験って小さいころにしておいた方が良いと私も考えた時期がありました。
小さな頃に、「日常生活」の中で体験できるといいのかなあと私も思うことがあります。山のがっこうで体験するとしても、この町の日常から切り離して、体験だけにとどめるのは嫌なんです。体験と暮らしとを必ずつなげたい!これが、山のがっこうの姿勢だから。
>猪狩りという体験をインターネットで探したんだけど、適当なものが見つからず、そのままです。
また、この辺では道でよく野生の動物が交通事故で死んでいます。
このはが最近出合ったイノシシの猟と、交通事故ウサギの料理のことを、山のがっこう新聞の1月号に取り上げたのでまた読んで下さい!
>死とどうやって向き合うのか、生きるということとどう向き合うのか。
とても大事なテーマだと思うのです。
私もいろんなことを考えました。
でも、こういう話をすると、残酷だとか、子供の前でそんな話をするなとか、考える人も多い。
物事を深く考えたり、自分の心で感じたり、してほしい。
子どもの頃って、きっと深く考えはしないけど、体験の中でじわ~っとしみこんでいく原風景みたいなものが出来るんだろうなあ。その原風景に出会わせてあげられるのは、住んでいる環境もあるし、親の意識もあるし、学校の教育でもあるし、山のがっこうのようなもうひとつの場所でもあるのかもしれない。私たち親が今、子どもに出会わせてあげたいこと、ぜひ出会わせなくてはならないことってなんなのか、またお話できる日を楽しみにしています。
>山の学校は、ただ体験するだけではなく、ただ楽しいだけではなく、農作業をしておいしい食物を生産してくださる方の苦労や手間や姿勢を感じてほしくて通っているという面もあります。
まだ、そんな事は当然わからないわけだけど、でもいつか自分で気がつくと思うのです。
本当に、そう思います。私も、参加してくださることで出会えるスミレさんたちとお話しながら、またやりたいことが見えてきます。
子どもたちが大人になっていく間に、ああ、あれはこういうことだったのか。。。と自分でその体験に意味をつけていってくれる日が楽しみです!!