明るいサロン パソコン長吉川辺教室

パソコン仲間の集うサロン。パソコン長吉川辺教室の楽しいページです。

歴史の散歩道を行く

2004-07-01 | 歴史の散歩道を行く
『歴史の散歩道』 上町台地を歩く 16

 真言坂
 

源聖寺坂を上り、左手に数分歩くと。うっそうとした木立。
生玉神社の大鳥居。茅の輪がかけられてありました。
夏越の大祓えのために設けられています。

夏越の大祓え。
6月の大祓えは夏越の大祓えといわれ 
厳しい夏を迎えるにあたって 厄病や災いを避ける行事です。
 
 「 水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり 」
と唱えながら茅の輪をくぐります。

大祓え、古くから6月と12月の晦日に行われます。
身代わりの人型に祈りや災いをこめ疫役を祓い清める行事です。
夏越の大祓えは夏祭りの ルーツでしょうか。
春の花やすめ祭、豊穣の秋祭り、民間行事には
季節の節々に祈りがあります。

大阪三大夏祭りは ここ 『生玉祭り』から始まり『天神祭り』
『住吉祭り』で終わります。
 沿道には 生玉祭りの旗が祭り気分を呼び起こします。

 神社の北門から北へ伸びる石畳の短い坂。
今はビルの谷間にひっそり伸びています。
ここが 七坂最後の 真言坂です。




 
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歴史の散歩道を行く

2004-06-30 | 歴史の散歩道を行く
『歴史の散歩道』 上町台地を歩く 15

 源聖寺坂
 

松屋町筋に源聖寺坂と書かれた石標。
上り口に源聖寺というお寺があります。
ここが 東から西へ通り抜ける 最後の坂です。

 最初は石畳ですが途中からは階段状になっていて少し右へ曲がっています。

 犬を散歩させながら坂道を下ってくる男性と出会ったきりで
上りきるまで ほかに人はありません。
 見た目より 上りのきびしい坂道でした。
途中の壁に こんな 表示を見つけました。
坂の途中で 東は 生玉町7丁目、
西は 下寺町1丁目に変わります。

 今日は 愛染さんの宵宮です。
 ここから 大阪の夏祭りが始まります。
 
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歴史の散歩道を行く

2004-06-29 | 歴史の散歩道を行く
『歴史の散歩道』 上町台地を歩く 14

 下寺町付近

 

口縄坂の石段の終点に 旧夕陽丘女子高等学校跡の碑。
たらたらと続く緩やかな坂道を経て下寺町へでます。

 逢坂へ通じる自動車の往来の激しい松屋町筋。
オートショップとお寺が仲良く軒をを並べる大通りです。
 
上町台地の西側、松屋町筋沿いは下寺町、
谷町筋沿いに並ぶ寺々、坂の東へ下ると 上本町筋に寺町。

北から南へ 3本の通りに挟まれ連なる寺院町は 
豊臣秀吉の大阪城築城の頃からさらに江戸時代にかけ、
寺院移転・統合等により この地に寺院が集められ
現在に至っていると言われています。
 
 大相撲の時期には これらの道筋にに相撲部屋の旗が
誇らしげに翻っていたことを、
懐かしく思い出すのは 私だけでしょうか・・・
今は そんな光景も 殆ど見られなくなりました。
「タニマチ」と言われる言葉も ここから生まれたのでした。




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歴史の散歩道を行く

2004-06-28 | 歴史の散歩道を行く
『歴史の散歩道』 上町台地を歩く 13

 口縄坂

 

七坂のうち私が一番心安らぐ坂がここです。
以前読んだ「新撰組血風録」の一節にも書かれていました。
 
「十三まいり」で知られている太平寺の手前を左折し
しばらくすると現れる石畳の坂です。
 
 下り口には織田作之助の『木の都』の一節が書かれた文学碑。

坂の名前の由来は
 
蛇のように道の起伏がうねっていることから。
 大阪では蛇のことを 蛇(くちなわ)と言います。

 大阪城築城のとき、縄打ちを始めた地。


 坂の上り口にある 称名寺の
「海中出現口縄正観世音菩薩」の名からきている。
などなど・・・

 
 私が坂に向かって歩いていると タクシーが一台。
坂の手前で止まりました。車の中から女性が降り立ち、
坂道を下っていきました。ここもまた 生活路・・・



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歴史の散歩道を歩く

2004-06-26 | 歴史の散歩道を行く
『歴史の散歩道』 上町台地を歩く 12

 天王寺区 六万体町

 

学園坂から 坂をめぐって逢坂まで 。
天王寺七坂のうち 
4つの坂、とその周辺を歩いてきました。

谷町9丁目方面に歩くと 残る3つの坂があります。
口縄坂 (この間に学園坂) 聖源寺坂 真言坂 。
それぞれに 天王寺方面の坂と 少し趣を変えます。
また ご一緒に歩きましょう。

 写真は 谷町へ行く道路の東側
最初に ご紹介した歴史の散歩道の 道しるべがあった付近です。
 
義士の墓で有名な
六万体町(ろくまんたいちょう) 吉祥寺(きっしょうじ)です。
ここは 赤穂義士の墓所。
毎年 12月14日には 討ち入りの姿をした子供たちの義士行列が催されることでも知られています。

六万体町。変わった町名です。これは 聖徳太子が戦勝のお礼に
仏像六万体を建立して ここに祭られたところから由来しています。



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