明るいサロン パソコン長吉川辺教室

パソコン仲間の集うサロン。パソコン長吉川辺教室の楽しいページです。

歴史の散歩道を行く

2004-06-19 | 歴史の散歩道を行く
『歴史の散歩道』 上町台地を歩く 6

  清水坂
 
愛染坂をくだり左手に 閑静な住宅地になかをを

少し歩くと 清水坂の入り口に差し掛かります。

大阪星光学院と清水寺(清光院)との間の、
広いゆったりとした石畳の坂道です。

日曜日の 昼下がり 
なだらかな 坂道を上りつめると
左手からは
野球の練習をする声が響いていました。

星光学院には
「松風の軒をめぐりて秋くれぬ」
という 松尾芭蕉の句碑があるそうです。
芭蕉さんも ここから夕日を望んだのでしょうか。
  
明日は 坂の右手 清水寺を訪ねてみます。
 
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歴史の散歩道を行く

2004-06-18 | 歴史の散歩道を行く
『歴史の散歩道』 上町台地を歩く 5



 愛染坂付近 

  大江神社から愛染坂へ
   
                      
 
 愛染坂の入り口にある神社。
四天王寺七宮のうちの 一社。
「大江さん」と呼ばれて親しまれてれています。
 境内から降りる急な石段は 101段。
 
 古代は大きな入り江であったという言葉を示しているのでしょうか。
 石段の上に立つと 深く切り立った入り江が想像できます。


愛染坂を降りて 大江神社の石段を上がると また 愛染坂へ。
同行した子供は 何度も坂を下りたり 石段を上がったりしていました。

ここは 時がとまり 古代人が今にも歩いてきそうな雰囲気に包まれていました。
 
  
 
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歴史の散歩道を行く

2004-06-17 | 歴史の散歩道を行く
『歴史の散歩道』 上町台地を歩く 4



 愛染坂付近 

  愛染堂
   
                      
 
 愛染坂の下り口に勝鬘院(愛染堂)があります。
愛染坂はここから名付けられたといいます。
境内の多宝塔は、豊臣秀吉が文禄三年(1594)に寄進した
市内最古の建造物で、重要文化財に指定されています。
 
 「勝鬘院」 というより 「愛染さん」という愛称で親しまれ

大阪の夏祭りはこの愛染祭に始まり、住吉祭に終るといわれています。
 この祭りは6月30日(宵祭)、から7月2日の3日間にわたり行われます。
 本尊の愛染明王は容貌は恐ろしく感じられますが、
内心は優しく愛欲を本体とする愛の神であることから親しまれております。.
 
7月1日には宝恵籠(ほえかご)の行列が出て賑わいます。
この祭の頃より浴衣(ゆかた)を着はじめる事から
別名を「ゆかた祭」ともいわれます。
大阪の3大祭の1です。、

 またここは 映画 「愛染かつら」の舞台になった場所でもあり 
樹齢数百年といわれるかつらの古木に仲良く
「葛」の木が巻き付き 朱色の花をつけるそうです。

 また境内にはお夏・清十郎の墓があります。

 明日は ここから すぐ近くの大江神社のお話をいたしましょう。 
 
 
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歴史の散歩道を行く

2004-06-16 | 歴史の散歩道を行く
『歴史の散歩道』 上町台地を歩く 3


 家隆塚から天王寺七坂へ

 谷町筋を北へ 千日前どおり 
 南は 国道25号にはさまれた夕陽丘。
 西は 松屋町筋へと下ります。
 
  松屋町筋へ抜ける坂道は
  北から 真言坂 源聖寺坂 学園坂 口縄坂 愛染坂 清水坂 天神坂 逢坂
  天王寺七坂といわれています。

  学園坂は 大阪女子学園の脇を 
  逢坂は一心寺の前を通る国道25線 
  いずれも 自動車が往来する 交通量の多い坂道です。

  そのほかは たらたらと続く静かな坂道。
  人通りもなく 時がとまってしまったような。
 
  坂道や神社・寺院ををご案内しながら 
  一心寺まで 散歩することにいたしましょう。  
    
   

                      

 
  
 
 
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歴史の散歩道を行く

2004-06-15 | 歴史の散歩道を行く
『歴史の散歩道』 上町台地を歩く 2


 地下鉄を四天王寺夕陽丘で降りて 谷町筋の西側を歩くこと数分。
 
家隆塚をたずねました。

 ここは 藤原家隆(1158~1239)の庵の跡。
 前回来た時と 周囲があまり変わっていたので行き過ぎてしまいました。
  
 今は 鬱蒼と木々に覆われた五輪石塔が建っています。
 塚の西側は 表通りからは想像もつかない 切り立った崖です。

 家隆卿は夕陽丘から 難波津に入る夕日に魅せられて晩年を過ごした方です。
 
 夕陽丘の地名もこれに由来するそうです。
 
 ここで詠まれた内の一首

 
   契りあれば 難波の里に宿り来て
                    波の入日を拝みつるかな
                     

 
  藤原家隆卿 新古今和歌集の選者の一人。
   
「風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりけり」

 この歌 百人一首 98番の詠み人としても知られています。



 この塚のそばに ライオンズクラブが用意してくださった案内パンフレットが置いてありました。ご参考までに。


 
 
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