こんにちは。
おかあにゃんです。
ダイオちゃんが亡くなった時の文を書いたら、なんだかダイオちゃんが二度亡くなってしまったかのような感覚になり、ブログの更新が遅れました。
その後のことを書きます。
まず、おしっこで濡れてしまったダイオちゃんをバスタオルの上に乗せ、バスタオルを担架代りにして、おとうにゃんとふたりがかりで風呂場まで運びました。そして、シャワーでダイオちゃんを洗い、おしっこを洗い流してあげました。その次に、乾いたバスタオルでダイオちゃんを包み、毛から水分を拭き取りました。途中からバスタオルよりティッシュを使って拭きました。そのほうが水分がよく取れました。そして、ドライヤーとブラシを使って毛を乾かしました。ふわふわに毛が乾いたので、白いバスタオルで作った寝床にダイオちゃんを寝かせました。この時、口の奥にコットンを詰めてあげるとよかったのですが、それをしなかったので口から体液が少し漏れてしまいました。なので、口の下にティッシュとペットシーツを敷いてあげました。
以上のことをする間に、私は三箇所に電話をかけました。
動物病院と酸素濃縮器のレンタル業者とイオンのペット葬です。
ダイオちゃんが亡くなったことを告げ、レンタル業者には使用停止の手続きをし、イオンのペット葬にはお寺を紹介してもらいました。
葬儀(火葬)は明日20日に行うことにしました。紹介を受けたお寺は、東京西部にあるG院でした。人間と同じように個別葬でお骨を持ち帰るようにしたい、とお願いしたところ、明日の12時半過ぎにお迎えの車をよこしてくれるとのことでした。
そんなことをしているうちに昼過ぎになり、動物病院から「ダイオちゃんへ」とメッセージカードのついた花束が届いたので、ダイオの枕元に置きました。
そして、ダイオちゃんと過ごせる最後の夜が来ました。
私の布団の頭の方の畳の上にダイオちゃんを寝かせた台(ワインの木箱でした)を置いて寝ました。
「ダイオ、おやすみ」
まだ生きているかのようなダイオちゃんに声をかけて寝ました。
翌朝。
身支度を済ませて待っていると、G院からお迎えの車の人が来ました。G院は大きなお寺なので、おとうにゃんは喪服で、私はベージュのスカートに黒い上着を着て正装しました。G院の人が持って来たダンボールの仮のお棺にダイオを入れ、それを膝に乗せて私は車に乗りました。車でG院に向かう途中、お迎えに来てくれた担当の男性はペット葬儀業界のいろんな話をしてくれました。
たとえば、移動火葬車は実は焼き芋屋さんの車なので、燃焼温度が上がらず、中型犬以上のワンちゃんを火葬にした時には骨髄まで火が通らず、一見焼けているように見えても、生焼けになってしまっていて後日、骨壷が臭ってくる、とか。
地面から何かの骨が出て来た時は、土地の所有者がその骨が人間のものでないか、なんなのか証明しなければならず手続きが大変なので、犬猫を埋葬するのはやめるように、と行政あたりが言うという話がある、とか。
そんな話を聞いているうちにG院に着きました。20日はお彼岸で、沢山の人が法要に訪れていました。
到着したら、まず書類に記入をし、お棺を選ぶことになりました。綺麗なレースのついた白い布で包まれた木棺にしました。
六文銭を印刷したカードを渡されたので、メッセージ欄に、私は「大丈夫だからね」と、おとうにゃんは「待っててね」と書いて、お棺に入れました。そのほかに、ダイオちゃんが大好きだった鰹のなまり節と本枯れ節とキトン用のドライフードと、ダイオちゃんが最後までプライドをかけていたトイレの砂をひとにぎりと、動物病院から頂いた花束をお棺に入れました。
そのお棺を小さな台車に乗せてお寺の境内にある火葬場へと、お迎えに来たお坊さんの後をついてガラガラ押して行きました。
火葬場で最後のお別れをする時が来ました。
おとうにゃんと私はダイオちゃんにキスをして、涙を拭い拭い、お別れをしました。
お棺が窯に入れられ、蓋が閉じられると、お坊さんがお経を唱え始めました。ご焼香の台があり、お経の間にご焼香をするとのことでしたので、おとうにゃんとふたりでご焼香をしました。お経が終わると、待合室で待つことになりました。
待合室で待っていると、30分後くらいに呼ばれました。火葬場に行くと、台の上に白いお骨が骨格標本のようにきれいに並んでいました。
「お骨は冷えておりますので、手でも箸でもどちらでもかまいませんので、拾い上げてください」
と係りの人に言われたので、愛しいダイオちゃんのお骨を指でつまんで骨壷に入れました。
足の骨、肩の骨、と順に拾っていき、最後は係りの人が小さなホウキとちりとりで骨をすべて集めて、骨壷に収めてくれました。その骨壷と紙でできた仮の位牌を持って、お迎えに来た別のお坊さんの後をついて、二度目のお経をあげてもらう部屋へと行きました。お経の前にお坊さんから少しお話があって、その法話が今にして思えばなかなか良かったです。
「ダイオさんというお名前は珍しい気がします。由来を教えてもらえますか❓」
と、お坊さんがおっしゃるので、私は、ダイオを拾った当初はまだ赤ちゃんで、大きく育つかわからなかったので、チビオと名付けたこと。その後、大きく育ったので、ダイオ、と名前を改めたことを話しました。するとお坊さんは、
「そうですか。チビオさんで終わらなくて本当に良かった。ダイオさんと名前を改めた時は、さぞかし嬉しかったことでしょう。お家に帰られたら、ダイオさんが好きだったものをお供えして、もう身体のことを気遣うことはありません、どんなものでもお供えして、ダイオさんの楽しかったこと、辛かったことも思い出して、ダイオさんのことをみなさんで話してあげてください」
というようなことをおっしゃって、お経を唱えてくださいました。この時もご焼香があったので、おとうにゃんとふたりでご焼香しました。
G院での法要は以上で終わりで、(初七日の法要を一緒になさる方もあるということでしたが、うちは特に仏教徒でもなく無宗教なので初七日の法要はやめました)おとうにゃんと私と、お骨になったダイオちゃんはタクシーを呼んでもらって乗り込み、家に帰りました。
そして、お骨を安置し、8歳の時のお誕生日の可愛い写真を飾りました。
おかあにゃんです。
ダイオちゃんが亡くなった時の文を書いたら、なんだかダイオちゃんが二度亡くなってしまったかのような感覚になり、ブログの更新が遅れました。
その後のことを書きます。
まず、おしっこで濡れてしまったダイオちゃんをバスタオルの上に乗せ、バスタオルを担架代りにして、おとうにゃんとふたりがかりで風呂場まで運びました。そして、シャワーでダイオちゃんを洗い、おしっこを洗い流してあげました。その次に、乾いたバスタオルでダイオちゃんを包み、毛から水分を拭き取りました。途中からバスタオルよりティッシュを使って拭きました。そのほうが水分がよく取れました。そして、ドライヤーとブラシを使って毛を乾かしました。ふわふわに毛が乾いたので、白いバスタオルで作った寝床にダイオちゃんを寝かせました。この時、口の奥にコットンを詰めてあげるとよかったのですが、それをしなかったので口から体液が少し漏れてしまいました。なので、口の下にティッシュとペットシーツを敷いてあげました。
以上のことをする間に、私は三箇所に電話をかけました。
動物病院と酸素濃縮器のレンタル業者とイオンのペット葬です。
ダイオちゃんが亡くなったことを告げ、レンタル業者には使用停止の手続きをし、イオンのペット葬にはお寺を紹介してもらいました。
葬儀(火葬)は明日20日に行うことにしました。紹介を受けたお寺は、東京西部にあるG院でした。人間と同じように個別葬でお骨を持ち帰るようにしたい、とお願いしたところ、明日の12時半過ぎにお迎えの車をよこしてくれるとのことでした。
そんなことをしているうちに昼過ぎになり、動物病院から「ダイオちゃんへ」とメッセージカードのついた花束が届いたので、ダイオの枕元に置きました。
そして、ダイオちゃんと過ごせる最後の夜が来ました。
私の布団の頭の方の畳の上にダイオちゃんを寝かせた台(ワインの木箱でした)を置いて寝ました。
「ダイオ、おやすみ」
まだ生きているかのようなダイオちゃんに声をかけて寝ました。
翌朝。
身支度を済ませて待っていると、G院からお迎えの車の人が来ました。G院は大きなお寺なので、おとうにゃんは喪服で、私はベージュのスカートに黒い上着を着て正装しました。G院の人が持って来たダンボールの仮のお棺にダイオを入れ、それを膝に乗せて私は車に乗りました。車でG院に向かう途中、お迎えに来てくれた担当の男性はペット葬儀業界のいろんな話をしてくれました。
たとえば、移動火葬車は実は焼き芋屋さんの車なので、燃焼温度が上がらず、中型犬以上のワンちゃんを火葬にした時には骨髄まで火が通らず、一見焼けているように見えても、生焼けになってしまっていて後日、骨壷が臭ってくる、とか。
地面から何かの骨が出て来た時は、土地の所有者がその骨が人間のものでないか、なんなのか証明しなければならず手続きが大変なので、犬猫を埋葬するのはやめるように、と行政あたりが言うという話がある、とか。
そんな話を聞いているうちにG院に着きました。20日はお彼岸で、沢山の人が法要に訪れていました。
到着したら、まず書類に記入をし、お棺を選ぶことになりました。綺麗なレースのついた白い布で包まれた木棺にしました。
六文銭を印刷したカードを渡されたので、メッセージ欄に、私は「大丈夫だからね」と、おとうにゃんは「待っててね」と書いて、お棺に入れました。そのほかに、ダイオちゃんが大好きだった鰹のなまり節と本枯れ節とキトン用のドライフードと、ダイオちゃんが最後までプライドをかけていたトイレの砂をひとにぎりと、動物病院から頂いた花束をお棺に入れました。
そのお棺を小さな台車に乗せてお寺の境内にある火葬場へと、お迎えに来たお坊さんの後をついてガラガラ押して行きました。
火葬場で最後のお別れをする時が来ました。
おとうにゃんと私はダイオちゃんにキスをして、涙を拭い拭い、お別れをしました。
お棺が窯に入れられ、蓋が閉じられると、お坊さんがお経を唱え始めました。ご焼香の台があり、お経の間にご焼香をするとのことでしたので、おとうにゃんとふたりでご焼香をしました。お経が終わると、待合室で待つことになりました。
待合室で待っていると、30分後くらいに呼ばれました。火葬場に行くと、台の上に白いお骨が骨格標本のようにきれいに並んでいました。
「お骨は冷えておりますので、手でも箸でもどちらでもかまいませんので、拾い上げてください」
と係りの人に言われたので、愛しいダイオちゃんのお骨を指でつまんで骨壷に入れました。
足の骨、肩の骨、と順に拾っていき、最後は係りの人が小さなホウキとちりとりで骨をすべて集めて、骨壷に収めてくれました。その骨壷と紙でできた仮の位牌を持って、お迎えに来た別のお坊さんの後をついて、二度目のお経をあげてもらう部屋へと行きました。お経の前にお坊さんから少しお話があって、その法話が今にして思えばなかなか良かったです。
「ダイオさんというお名前は珍しい気がします。由来を教えてもらえますか❓」
と、お坊さんがおっしゃるので、私は、ダイオを拾った当初はまだ赤ちゃんで、大きく育つかわからなかったので、チビオと名付けたこと。その後、大きく育ったので、ダイオ、と名前を改めたことを話しました。するとお坊さんは、
「そうですか。チビオさんで終わらなくて本当に良かった。ダイオさんと名前を改めた時は、さぞかし嬉しかったことでしょう。お家に帰られたら、ダイオさんが好きだったものをお供えして、もう身体のことを気遣うことはありません、どんなものでもお供えして、ダイオさんの楽しかったこと、辛かったことも思い出して、ダイオさんのことをみなさんで話してあげてください」
というようなことをおっしゃって、お経を唱えてくださいました。この時もご焼香があったので、おとうにゃんとふたりでご焼香しました。
G院での法要は以上で終わりで、(初七日の法要を一緒になさる方もあるということでしたが、うちは特に仏教徒でもなく無宗教なので初七日の法要はやめました)おとうにゃんと私と、お骨になったダイオちゃんはタクシーを呼んでもらって乗り込み、家に帰りました。
そして、お骨を安置し、8歳の時のお誕生日の可愛い写真を飾りました。