能楽ブロガーたちの記録ーようこそ会津能楽会へー

おもに年3回の会津能楽会公演を報告します。その外は能楽や会津の自然、郷土食、生活文化について、4名が綴る共同ブログです。

ながらくお休みでした

2019-05-11 11:24:41 | 
数年間のお休みでした。健康を害したわけでなく、新しいサイトにホームペ字を開設し、移転工事をしたりで、すっかり存在を忘れていたのです。

今年の行事は間もなく始まります。

三月には能楽囃子会。
四月には「和楽会」という、孫弟子のは発表会ガありました。

令和元年5月25日(土)10時から    入場無料 会津能楽堂はお城の東です。

 能と謡 会津能楽会の春の公演です。

 謡曲の素謡い、仕舞い、舞囃子

 演能は「胡蝶」です。梅の花には縁のない(寒く蝶は飛び回れない)蝶の精が都の

   梅の名所で梅花に出会い、喜びの舞を舞うと言う詩的で幻想的な曲です。

  梅の花と蝶の関係を別のモノに置き換えて考えて見るのも、一興であると思う。

  普段なら、恋い焦がれていても、決して出会うことのない、二つが出会った

  ら、どんな物語が出来るでしょう。
 
  会津能楽堂にお運びください。能は3時半過ぎから始まります。

会津鶴ヶ城薪能で「黑塚」の公演

2016-10-08 21:54:45 | 

会津能楽堂が完成より7年が過ぎた。雨戸を開くため舞台に入るとまだヒノキの匂いがする。

この能楽堂の完成に尽力された、満田政巨氏と山田和彦氏が28年1月初旬に数日違いで亡くなり、葬儀は同日同時刻に行われ、奇しくも同じ火葬場で煙となって天の風になった。

会津鶴ヶ城薪能はお彼岸の中日に行われ、戊辰戦争で亡くなられた方を含めそれぞれの知人の冥福を祈りながら、お能を鑑賞される方もおられると思います。

わたしは、上記2名のほかに同じく建設委員として活躍した伊東 正氏と本田忠一氏両氏も忘れることを思い出しながら舞台に出た。

さて肝心の「黒塚」だが地謡に参加した。前シテの謡い『閨をみるな」との場面もしっかりすごんで圧巻。あいにくの天候で後シテが登場する場面では本物の雷光があり、大変いい舞台であったとの評価をいただき関係者は喜んだところです。


ブログとホームページ

2016-01-23 12:31:37 | 
ホームページの管理人として10数年、古くなったホーページソフトが新しいパソコンに対応市内ので、
このブログサイト(無料)に飛ばして、代用していた。

このところ、固定ページとブログページの双方を利用できるソフトをクラウド上で利用できることを知り、改築、目下引っ越し中。

目下、悪戦苦闘中。80歳の老人の呆け防止にはもってこいの時間だ。




秋の謡と能

2015-10-06 16:20:20 | 
秋季の演能は「猩々」、10月24日です.

ワキの代役と決まって稽古期間は1か月ばかり。いくら固辞しても理事会で押し切られ仕方なく受けた。

目下、謡の暗記に余念がない。所作も殆どなく謡い本で3ページくらいと短いのだが、やはり心配だー。  ksk

第29回会津鶴ヶ城薪能

2015-09-27 20:54:10 | 
 秋のお彼岸の中日(23日)は会津祭りの大イベント歴代藩侯武者行列が行われる。

夕方からの薪能は宣伝不足もあるが、それでも例年400名足らずの客席は満席。今年も立見席の人が多かった。

演目は「土蛛」。クモの化け物を退治する活劇で、見どころはクモと頼光、クモとワキの戦い場面である。

当日の写真を順に午前中より塚作り、装束の確認、そして開場、椅子席はすでに満席、市長さんの挨拶と前座の仕舞4番>
                  

いよいよ能のはじまり。
お調べが楽屋から流れ、客席も静まったところに切り戸口より地謡方、同時に左側の橋掛かりから囃子方、
続いて一畳台が運び込まれる。そして頼光がツレを伴ってワキ座におかれた一畳台の上にすわる。そして小蝶が舞台に入る



頼光の家来のワキ独武者が物音を聞きつけて頼光の寝所に駆けつけ、事の次第を頼光に聞き、化け物退治を命じられ、中入りとなる。間狂言の代わりに会長が出て説明。ワキの装束取り換えに時間が必要。後見人は一畳台移動、塚の運搬など忙しい。

クモは塚の中から糸を吹きかけ、場外に出ても戦うが、力尽きて塚に戻るが、攻撃に耐えかね塚の前で動けなくなってしまう。そこで首を落とされる。ワキの最後の所作はやったーの勝利宣言。

                       

地謡を残して立ち方、囃子方が舞台を去ると、終了のあいさつは謡曲「五雲」
五雲のゆかり尽きせじと。結ぶ契りの友垣や。謳うも舞うも宝生の。流れ久しき栄かな> 



謡曲稽古に異人さん

2015-09-18 16:19:51 | 

いまや、各種の日本文化に興味を示す外国人は珍しくもない。陶芸、柔道、茶道、醸造など多方面にわたっているが、

それは全国どこかの話と思っていた。会津能楽会を見物に来る方は珍しくないが、まさか一緒に謡曲を謡うとは思わなかった。

先日芳馨会の新弟子として「鶴亀」のワキを見事に謡って拍手喝采された。まだ稽古は4回目というから、上達ぶりには驚きである。

彼は会津大学の言語学准教授、年令は不明。二ュージーランド国籍で日本滞在は7年。会話には困らない。

謡曲の文章・文字が判読しているとは思えないが、音で覚えてしまうようだ。若い頃はアジアやスペインの民族音楽、

クラシックギターに凝って、世界各地を回っていたとか。クインズランドのオーケストラとの競演も数回あるという。

ここ会津若松でもコンサートを開いたそうだ。

 芳馨会の終了後にギター演奏を披露したが、数曲のうち判ったのは仏映画のジェルソミーナの主題歌だけだった。

大鼓にも興味を示しているから、数年後は舞台で見られるかもしれない。

 

 


薪能近し

2015-08-28 21:49:19 | 

例年、秋の彼岸のお中日,9月23日は会津祭りでの最大イベント会津歴代藩侯武者行列が行われるが,夕方からは会津鶴ヶ城薪能である。今年で29回目である。

8月27日(木曜日)18時30分からの稽古場をのぞいてみた。今年の出し物は「土蛛」で筆者も地謡の一員として舞台に立つから稽古は他人事ではない。

役の方7人、それに後見役2名が毎週木曜日に集まって稽古しているという。かなり仕上がっているようだ。ご存じ、この能の見せ場は、蜘蛛の化け物退治、立ち回り、蜘蛛の投げかける糸などである。

能は退屈だ。おもしろくない。ストーリー判らない。という感想をよく耳にするが、その点この能は誰にでも判りやすい能で人気もある。

筆者は2度舞台に立ったことがある。最初はワキ(一人武者)と一緒に蜘蛛退治に行く役、2回目は前シテ(蜘蛛の化身)で頼光に蜘蛛の糸を投げて立ち回りをする役である。

それだけに、地謡の謡いをそれそれ覚えていた。暗記しているわけではないので、やはり稽古は必要だ。これから毎日一回は謡って見ようと思った。観客が大勢集まればいいが、天気も心配だ。

 

 


能装束の虫干し

2015-07-12 16:56:54 | 

7月12日(日曜日) 午前9時より12時まで会員18名が参加。男性会員も6名応援。

能楽堂全体に装束や面などが並べられてみると、先人たちの能楽に対する情熱に驚かされる。

手作りの羽衣の宝冠や団扇さらには刺繍を施した着物、修理を重ねた唐衣など、よく見ると、個人の寄付がたくさんあり、明治維新に敗れ、武士階級を失い、混乱の明治初期に敗戦国から立ち上がり、能文化を残そうと努力した跡が読み取れる。

今は使われないが、狂言の装束も沢山ある。いづれも汚れ痛んでいる。先輩の努力がしのばれ、大事に保存している。

雑談しながら、90分ほど風に当ててから収納するが、時間がかかる作業で男子も手伝う。

             終了後、おにぎり2個とペットボトルで昼食歓談解散。

写真1          写真2        写真3         写真4  5  6 (狂言の装束)   

写真7(個人寄付)    写真8

                                 手製の刺繍が施してあるきもの。鶴は水引の金糸を使っている。

 

手製の団扇(透かし布に見事な絵)明治大正時代の作か。 お面も個人寄付が多い。中には、文化財クラスもある。

 

 

 


小学生への能楽教室

2015-07-11 20:12:03 | 

27年度 能楽会育成委員会活動状況(7月現在)

内容もほぼ昨年に同じであるので、詳しくは過去の記事をご覧ください。

6月中に3校(日新小、河東学園小、東山小)。7月に入っての3校(謹教小、鶴城小、城西小)の実施状況を写真で説明します。

下記の写真は能楽堂で実施した時の写真です。学校への出前講座(ボランテイア)が主流です。

 

天気が良ければ、能の歴史などの説明を外で聞き、謡、囃子、仕舞を見る・聞く。

 

能楽堂の舞台には白足袋で入る。       奥で大鼓、手前が笛の体験。

 

小鼓は支度部屋で体験             鼓や太鼓、笛を体験したら、全員で謡の稽古を受ける。

  

   最後は運び(すり足の歩き方)の練習、舞台から橋掛かりを往復。

 

和服を着ての体験は初めての試み。「暑いので脱いでもいいよ」と言っても最後まで着て、

しかもお面までつけて歩いていた。ほかの児童の視線が相当集まっていた。


春の演能ー羽衣

2015-07-11 15:25:56 | 

  春の演能ー羽衣     期日 平成27年5月31日    場所 会津能楽堂

会津能楽会は毎年3回、能を演じています。装束から出演者まですべて会員によりましたが、今年は小鼓に故障者があり、急きょ他所から客員を招きました。囃子方(特に小鼓)の人材育成が急務です。

 この日は晴天に恵まれ、午前10時から各グループ単位の謡、仕舞、舞囃子などは行われ、最後に「羽衣」が演じられました。

とりあえず、羽衣についてのみ紹介します。有名な曲ですので「あらすじ」は省略します。

 

 

   今や遅しと待つ観客。お調べが鳴り、舞台に上がった囃子方の演奏で、ワキとワキヅレが舞台に入る。


                            情景を謡うワキとワキヅレ(上右)


ワキは松の木に掛かる美しい羽衣を見つけ、家の宝にしようと謳う。

 

 そこへ、シテ(天女)が現れ、その衣は私のもので、天人の羽衣であると呼びかける。 漁師は「そんな珍しいものならなおさら家の宝、いや国の宝」だといい。返そうとはしない。

 

 

 天女は必死になって衣を返してくれるよう頼み、天に帰れない(飛べない)と嘆く(しおりの所作―右上)

この場面のやり取りが有名である。ワキ「天人の舞楽を見せてくれたら、衣を返しましょう」、するとシテ「衣がなくては舞楽できない」という。ワキ「衣を返したら、舞を見せずにのまま天に帰ってしまうのではないか」と疑い返そうとしない。

シテ「疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」 と。その言葉にワキは衣を返そうと決意し、返す。

 衣を返してもらった天女は舞台上で天の羽衣を着付けてもらう(物着の場面左下)                     

喜びの舞をして天に上がってゆくラストシーン(右上、左下)。情景・心情は地謡が謳う。右下、シテに続いてワキ、ワキヅレが退場。地謡と囃子方の退場(右下)