能楽ブロガーたちの記録ーようこそ会津能楽会へー

おもに年3回の会津能楽会公演を報告します。その外は能楽や会津の自然、郷土食、生活文化について、4名が綴る共同ブログです。

秋の能と謡

2014-10-27 14:41:09 | 
年3回の定期公演が10月25日にあった。天気予報は快晴、気温の24度と心配なし。
10時に開演。素謡、仕舞、舞囃子、最後の能「班女」が始まる午後2時ころまでに
250部用意したプログラム(番組)がなくなったので、出る入りがあり、見所が満席にはならなかったが、
来場者は250以上はあったことになる。以下、全部ではないが写真を見ていただきたい。ksk

  
            番組トップの素謡「海人」                 開演初めからお出でいただいた人々の様子



能「班女」のあらすじは 
野上の宿の遊女花子と東国への途中に寄った吉田の少将とが同穴の契りを交わし、互いの扇を交換し秋の再会を約束した。だが、花子は扇を胸に抱いて男性を恋い焦がれ、お客の相手もしないので、とうとう宿屋から追い出されてしまった。男は約束どうりに宿を訪ねたが行く方知らずになっていた。都にもどり、宿願のことがあると言って、糺の宮に参詣すると、扇を持つ狂女を見かけ、よく見るとまぎれもなく花子であった。
奇しき邂逅を喜ぶ、めでたしめでたしのロマンスである。今回は前半の短い部分は省いて、中入り後からの能である。

能の写真はどの場面を選ぶかが難しい。連写をメチャクチャやる迷惑なカメラマンもいる。また薪能でのフラッシュは厳禁。なぜなら能面から見えるのはピンポン玉より小さい穴の範囲だけでフラッシュで一瞬目くらましになるからである。


 幕上げが遅れ囃子方から催促されて、ワキ、ワキヅレの舞台入りである。幕上げ係は舞台の裏方ではあるが笛の鋭い響きを合図としてワキやシテの出を促す大事な役である。東国から都に戻る途中、「名残おしい富士ではあるが都への土産話にしよう」と言って名乗り、野上の里(美濃の国)花子を訪ねるが行方は分からないという。もしやと、都に戻り下賀茂神社に行ってみると、扇子をもち狂った女が詣でに現れる。右下は花子があちこちの神社に祈ったが、吉田の少将は戻ってこないと、橋掛かりで苦しい心情を謡っているところ。



 
狂女とワキツレの問答の結果、どうやら持っている扇から花子らしいとわかる。地謡とシテとの謡によるやり取りから、花子の恋心が美しい文章で謡われるが、残念ながら、なれないとその意味もわからない。

シテは橋掛に行きいくつかの所作をするが、欄干に立ち尽くして空を眺め、松風(待つかぜ)の音は待つ人の音信(おとづれ)と、詩歌や故事をだして謡う。そのあとは、「序の舞」でたっぷりと恋に狂う女心を表現する。この能の一番の見どころ。

  
     
少将は扇を見たいという。初め嫌がる花子を説き伏せて、薄明かりの夕暮れに扇をかざす。夕顔の花を書いた扇はまぎれもなく形見の扇であることが分かり、めでたく夫婦邂逅のラストシーンとなった。

ドレッシング

2014-10-15 09:37:27 | グルメ


「男の料理」などと言うつもりはないが、退職後、一人食事やまた自家野菜の調理やキノコ・タケノコの処理
などを工夫するうちに自然に簡単な調理法をいくつかは覚えた。

最近は簡便なドレッシングやあえ物材料に関心が高く、スーパーでいろいろ買っては試している。
そんな折、会津産のドレッシングを見つけた。妻もお盆にやってきた若者や子供の嗜好にも
合格した「塩麹ドレッシング」だ。観光客相手の土産物店には角瓶、地元スーパーで販売されて
いるのが丸瓶の品で麹と柚子のノンオイルとある。前者が500円位、後者は少し安く400円未満、
味はどちらも似たようなものだという。
 簡単に言えば、甘酒+塩とほのかなユズの香りのドレッシングでトマトや野菜サラダ、20日大根(赤かぶ)
などにはとても合うと思う。
大抵の野菜には合うが、目下、他にベストマッチングな食材がないかとお試し中。
 参考までに製造元は「会津天宝」、味噌や加工食品を作っている会社で創業は天宝年間の老舗。

首都圏の知人に一本プレゼントしたら、友達にも配るからと10本のまとめ買いを頼まれた。
類似品は各地にもあると思うが塩麹の効果・うまみをお試しあれ。


第28回会津鶴ヶ城薪能

2014-10-05 14:49:56 | 

「会津まつり」は秋の彼岸中に行われ、9月23日の「歴代藩侯武者行列」は、会津観光の目玉イベントとなっている。会津の人たちにとって、祭りではあるが敗れた戊辰戦争を思い出し弔う、悲しい日でもある。能楽には戦いに敗れた武将が現れ、ありし日のことを語り、回向を頼み消え去る演目もあるから、その思いが重なる人もあるだろう。
 毎年、9月23日の夕方からは会津能楽会の薪能が行われ、観客動員数は例年300から400名位と少ないが、全国各地からの客もある。
薪能が始まる前の会長挨拶、市長挨拶、仕舞(画像クリックで拡大)


今年の演目は「須磨源氏」だ。前シテとして稽古を積んできたが、いざ装束を着け鏡の間に入ったら、先輩から「役になりきって集中しなさい」といわれ、雑念を払い集中しようとするとたら、覚えたはずのことばや謡が思い出せない。これはまずい。すでにワキとワキヅレは舞台に出て演技をしている。「何とかなる」と思い直し、幕開けの人と一言、二言、話したら楽になった。2度目の笛が鳴り幕が上がってしまった。あれっと思っても出るしかない。何とかなったのだろうか?

以下、能の流れに従って、説明を加えます。

囃子方、地謡方が舞台に入り、立ち方の舞台入りを待つ、笛方の鋭い響きが合図となり、ワキ、ワキヅレが舞台に入り謡
をする。前シテも入る(右下)

前シテ(光源氏の化身である老人)はワキとの問答、光源氏の故事を語り「今は亡き光源氏は今は天に住んでいるが、
月光によって下界に下りてくる」と、天を仰ぎ、さらに下を見下ろす所作。「月の夜を待ちなさいと」言い残して、
光源氏であることをほのめかして雲隠れに消えうせる。
 
中入り
能では前シテも後シテも同じ人物が演ずるが、着替えの時間を稼ぐため、中入れで間狂言がある。
本会では狂言をやらないので、前シテと後シテを区別しては配役している。
後シテの装束はは光源氏の生きている時の姿(公達)である。地謡や自分で謡う場面の所作にはわかり易い所作もあるが、
囃子方のリズムだけによる舞は、特別に意味をもったものではなく、全体としてシテの感情の盛り上がりを舞で表している。
舞う人の表現力がどれだけ観客伝わるかが演者の力量となり、観客もまた観賞力が問われることともなるのが能の特徴でもある。(ksk)