能楽ブロガーたちの記録ーようこそ会津能楽会へー

おもに年3回の会津能楽会公演を報告します。その外は能楽や会津の自然、郷土食、生活文化について、4名が綴る共同ブログです。

空梅雨に恵みの雨

2014-06-29 04:50:42 | 野菜つくり
当地の梅雨入り発表は6月5日。しかし、発表後に数回のジョウロで水撒きした程度の雨。好機とばかり種まきした夏野菜も小粒のタネは生えても水分不足で枯れ、インゲン、モロッコなどの豆類も高温と水分不足で発芽しない。ポット播きしたキュウリは定植しても育たない。近くに降ったところもあるがわが山村農地は局所的に雨雲から見放されていた1ヶ月だった。

 昨夜21時ころ、予報より早く雨雲が動き一時間に1ミリ程度の雨が降り出し、今日一日続く予報だから嬉しい。まさに恵みの雨だ。サッカーで早起き習慣になったが、寝床で雨だれの音を聞きながら、農作業のことをあれこれ考えてから起きた。
 
 幸い、昨日は涼しい風の吹き、雨を感じさせるく一日だったのでニンニクの掘り起こし手伝い(妻の分担)、玉ねぎの収穫、畑の耕地、トマトやスイカの雨よけ管理、みしらず柿新芽(徒長枝)を切りと、忙しい一日だった。
 
 畑の縁に蒔いた花苗がごっそり生えている。百日草、ミニ百日草、ミニひまわり、千日紅、ケイトウなどの苗配り(植えたり、無償配布)と会津若松に行き混声合唱のコンサートが今日の日程。(ksk)

小6に能教室

2014-06-27 11:09:54 | 
 会津能楽会では例年小学校に出向き2駒2時間の能教室を実施している。国語の教材に狂言「柿山伏」があるらしい。
詳しい指導内容は会津能楽会のHPに載せてあるのでご覧頂きたい。

指導には10数名の会員が参加するが、ケイコさんやサッチャンとともに私も参加している.


 私の役目は記録、くもの糸を投げる役、ほかに謡や能面を付けさせる役など.
子どもは仮面をつけると私達の想像もしない行動をする。
例えば、鼻くそをほじくるしぐさ、面をかぶって抱き合う二人など笑ってしまう。そんな子供たちは実に可愛い。

 説明や模範演技の他に体験(鼓、笛、太鼓、歩き方、謡)があって楽しそうだ。指導を受けた中から将来、趣味として無形文化財の世界遺産となった能楽に親しむ子供の出ることを願って参加している。
 
今回は、仕舞いの舞台に出ている写真に注目(本人の希望)。

鎮守さまの工事

2014-06-21 21:06:07 | 山村生活
鎮守のお宮は村の中心にあって、子供の遊び場であった。特に夏場は樹齢数百年の巨木が日差しを遮ってくれて涼しく、石蹴りや、お手玉、など色々な遊びをしたものだ。わが集落のお宮は村の中心の小さな狭い山の上に鎮座している。新潟地震や大震災で、石灯籠が倒れたり、傾いたりしている。また、土台石が洗われたりしている。
宮総代は3名のうち私を除き2名は土木工事に明るい。いっそ業者に頼まずに村人足で工事をしようと始めたのが6月7日、ほぼ1週間で工事は終わった。

 資材の購入では余分も不足もなかったところを見ると、設計図は頭のなかにあったようだ。工事に参加した人は60歳代が3名の他は大半が後期高齢者だ。今日で工事が完了した。社殿の周りの犬走りをつけ、床下までメッシュを張り敷きシメて生コンを打設した。「社殿が朽ち果てても基礎だけはいつまでも残るであろう」との思いはあるが誰も口にはしない。

2居住地生活

2014-06-20 21:41:04 | 2居住地生活
このサイトのことも少しずつのみこめてきた。まずは私の生活を書いてみる。表題のように私は会津若松市と山村にある生家を往復して暮らす2居住地生活者だ。若松では趣味の生活と職場や学校の同窓会が主な内容。生家では農作業や昔からの山村文化を守る生活習慣がいろいろある。2つの地域は距離では40キロ未満、車で1時間足らずだが、途中の町で買い物・銀行の用をたすのでいつも時間はかかる。一番困るのは忘れ物だ。

今日は会津若松市で行われた福島県神社関係者大会に参加した。県内から1400名ほどの神社総代が集まった。珍しいことは「天皇陛下バンザイ」を叫ぶことだろうか。はじめて参加した時には違和感があったが、いまはない。

山村生活の行事に熊野講がある。熊野信仰からスタートしたが今や村人の男たちの親睦会となっている。詳しい様子はあとで書くが祝詞に古代語が紛れている。

祝詞「あーやにあーやにくすしくたっと、熊野(鎮守、天照、ケツミコ)のかーみにおのがみまつる」。以下、神様の名前を変えて3回唱えるのだが、最初の「あーやにあーやにくすしくたっと」が何のことだかわからずに詠っている人もいる。 ksk

能ー忠度(26年春、能と謡)

2014-06-11 14:23:39 | 
[さつまのかみ]は言葉遊び(洒落)の元祖。狂言「さつまのかみ」で「お金はない。 さつまのかみとかけて何と解く? 向こう岸に着いたら教える」と言って渡し船に乗る。もちろん、着いたら「タダノリだよ」と逃げ去った。

平家の公達忠度(ただのり)は和歌でも有名な武将である。「千載集」に選ばれたが、朝敵となったため「詠み人知らず」として記載されてしまった。
能「忠度」では戦いの様子や「詠み人知らず」の恨みつらみを語る劇でもある。



 能の始まり、ワキ、ワキヅレが舞台中央で謡う。

 
前シテ(忠度の化身)がワキと問答をし,最後は自分は忠度であるとほのめかす。そして旅の僧(俊成の家人)に回向を頼み中入りとなる。


後シテは、一の谷の戦いで岡部の六弥太に討たれたこと、自分の和歌が千載集に取り上げられたが「詠み人知らず」になっていることの妄執を舞や謡で演ずる。


六弥太が討ち取った公達の箙から矢を抜くと短冊がついてあり、千載集に載った和歌が書かれていた。
写真は能の「しおり」という所作(悲しみなどを表現)である.忠度の亡霊はワキの僧に回向を頼み花の根元(墓)に消えてゆく。


野外席の周りにはニセアカシアが満開で、時折花の香が見所まで降りてきていた。(担当 ksk )