『実るほど頭を垂れる稲穂かな』
【稲は実が熟すほど穂が垂れ下がるように、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振舞うものである】
昔から好きな言葉ではあるのですが‥
あるブログを拝見して思い出しました。
「自分の事を特別な人間と、勘違いしていませんか?」
この方は「公式トップブロガー」であり「コラムニスト」
でも何かが違う。。
言葉の使い方、伝える方法、読み手の気持ちを、もっと考えるべきと感じたのです。
読んでいてあの特別な嫌な感情が湧いてきました。
時々目にする横柄な人達。
街中で、お店で、飲食店で、飛行機内で‥
本当に品格のある方は、けして横柄な態度はとりません。
(もともとの育ちも影響していると思いますが‥)
自分から自分のことを大きく語らなくとも、人となりは自然に周りに伝わります。
「人のふり見て我がふり直せ」
同時にこの言葉も思い出させてもらいました。
20歳の顔は生まれつきのもの、30歳の顔は生活を物語り
50歳の顔はあなたの責任だ。(ココ・シャネル)
50歳の顔はあなたの責任だ。(ココ・シャネル)
多くの高齢者さんと関わる機会があるのですが・・・
その方々の生き様が、顔や表情にちゃんと表れる。。
そして、最期の時の人間関係にも現れる・・・
・いつも、不平不満や愚痴、悪口ばかり言っている人。
泣き言ばかり言う人。
意地悪な人。。。
泣き言ばかり言う人。
意地悪な人。。。
・いつも笑顔の人、感謝の気持ちを素直に言葉にできる人。
新しいことに挑戦できる人、好奇心のある人。
誰にでも親切で優しい人
新しいことに挑戦できる人、好奇心のある人。
誰にでも親切で優しい人
実際の生活環境がどうかなどは、あまり関係はありません。
どんなに裕福で、優しい家族に恵まれていたとしても、常に新しい不満や愚痴が出てきます。
反対に、大変な病気を患っていたり、家族や経済的に恵まれていない場合でも、
いつも元気で明るく暮らしている方々もいます。
「顔」は生き様を表します
そして・・・
自分がしたことは、良い事も悪いことも全て、長い人生の中のどこかで戻ってくると思っている。
優しくした人は優しくされるだろうし、意地悪や悪事を重ねた人は、辛い時や困った時に助けてくれる人は、そう簡単には現れない・・・
「人を傷つけた人は、いつか同じように自分も傷つく」
ちょっとした自分の欲望のためや、自己中心的な考え。。。
些細なことで、「悪い人・意地悪な人・冷たい人」になってしまうこともある・・・
相手に求めるばかりで、自分は与えることができない(思いつかない)・・・
相手が喜ぶことに喜びを感じることができない・・・
自分の感情でしか行動ができない・・・
自分の非を感じることができない・・・(悪いのは相手と思う)
そんな人は、本当の幸せを感じることができない、寂しい人・・・
体に傷を付けなくても・・・
心を傷つけたり、苦しめたり、悲しめたり・・・
だから、自分がされて辛いことや悲しいことは、他人にもしてはいけない。
逆に自分がされて嬉しいことや感謝したことは、自分に出来ることはしてあげたい。
(実際には出来ないこともありますが・・・)
幸せになりたい時は、自分から幸せのタネを蒔いて、育てなければ・・・
未来の「顔」が穏やかな表情でいられるように・・・
あなた方の会った試練で、世の常でないものはない。
神は真実である。
あなた方を耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、
試練と同時に、それに耐えられるように、逃れる道も備えて下さる。
神は真実である。
あなた方を耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、
試練と同時に、それに耐えられるように、逃れる道も備えて下さる。
私はクリスチャンではありませんが(宗教に特別興味もありません)
この聖書の御言葉はとても好きです。
頑張りが必要な時は、いつも思い出します。
昨年訪れた、平戸「ザビエル教会」とても美しい教会です。
『チャンスとは、ピンチの顔をしてやってくる』
仕事やプライベートでも、本当にそうだなぁ~と思えることが沢山ありました。
「困ったな・・・辛いな・・・」と感じた時は、いつもこの言葉を信じます。
そうすると、不思議と頑張れちゃって、良い方向に流れが向かいます。
勿論、すぐに「チャンスだったんだぁ」と思えないようなこともありますが・・・
振り返ると、「あぁ、あの時のあのことが・・・」と思えます。(何十年後に分かることもあったりします)
だから難問にぶつかったら、「良い事」の前触れと思うようにしています。