あかりの備忘録

日々の記録やおすすめしたいものを書いていきます。

山陰旅行その7。【終】

2024-10-09 20:00:00 | 旅行
最終日の朝はにわか雨。
というか、ゲリラ豪雨だった。

雷鳴が轟き、大粒の雨が窓に叩きつける。
雨雲レーダーを確認すると、出発前にはなんとか止みそうな様子。
気持ちを切り替えて、朝食に集中することにした。

身支度を終えて外に出ると、予報通り雨は止んでいた。
最後の目的地は、出雲大社。

10月のことを神無月というが、出雲では神在月という。
日本中の八百万の神が出雲に集まって話し合いをするので、出雲以外の場所には神様がいなくなってしまう、ということだ。

今回の旅行は8月なので、神様たちはまだ来ていないことになる。
大社の境内には彼らの宿舎が用意されていた。
八百万の神が泊まるにしては少し狭い気がしたが、きっと大きさなどは変幻自在なのだろう。

ガイドブックに従い、境内を巡る。
ニ礼四拍手一礼という出雲大社特有のお参りの作法。
いつもと勝手が違うので、リズムがうまく取れない。
周りの人の様子も伺いつつ、最後の神楽殿でのお参りでは、なんとかしっくりとおさまった。

昼食は出雲そば。
弁当として屋外で食べるため、積み重ねたわっぱにいれたのが始まりだという。
そばをつゆにつけるのではなく、上からかけて、余ったつゆは下の段を食べる時にまたかける。
色々な薬味がついていて、味変しながら食べられるのが楽しい。

ゆっくり食べ歩きをする時間がなさそうだったので、ぜんざい付きのセットにしてみた。
知らない場所で、惜しまずその土地の名物をいただくのが、旅の醍醐味。

ふっくらしていて、しっかり甘いあずきにお餅。
そばとぜんざいは少し食べすぎだったような気もするけれど、それはそれ。
旅の最後の食事を控えるだなんて、そんなのもったいない。

帰りの飛行機は時間通りに飛んだ。
窓側を譲ってもらえたので、ずっと外を見て時間を過ごす。
離陸と着陸は少々怖いが、私は飛行機が好きだ。
特に窓の端に少しだけ、翼が見える席が良い。

雲を突き抜けた先に広がる青空。
次々に形を変える雲。
地図で見たままの海岸線。

それなりに疲れているはずなのに、結局窓にへばりついたまま、一睡もしなかった。


3泊4日の山陰旅行はこれにて終わり。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

山陰旅行その6。

2024-10-08 19:00:00 | 旅行
最後の夜は温泉津温泉。
ガイドブックで初めて見た時は読めず、「おんせんつおんせん??」と首傾げた。
正しくは「ゆのつおんせん」と読む。

まずは宿に入ってひと休み。
ところが早々に穏やかではない事態に焦ることになる。
部屋がみっつ、繋がっているのだ。

お茶を飲んでくつろぐ部屋と、食事を取る部屋と、寝る部屋。
案内してくれた女性は慣れたもので「皆さんびっくりされるんですよね〜」とにこにこ。
彼女が去ってから連れと2人で予約画面を覗き込んで、宿泊プランを確認してしまった。
大丈夫。ちゃんと予算の範囲内である。

昔はガラス障子を出入口として使っていたところを、今はつなげて一つの部屋として使っているようだった。
今は法律の関係で建てられないという木造3階建ての古い旅館。
座ってお茶を飲んでいるだけで、贅沢な気分になる。

このお宿を選んだ理由は料理。
魚を中心に、旬の地のものが食べられるということでとても楽しみにしてきた。





とにかく盛り付けられた料理の見た目が美しく、そして美味しい。
私は目の前の食べ物に夢中になるあまり、写真を取り忘れてしまうことが多いのだが、この時はほぼ全ての料理を撮影することができた。
まずは見た目からいただく、まさにそんな感じ。

夕食の後は外に出る。
温泉津温泉を選んだ理由の一つ、石見神楽を見るためだ。

宿からすぐの神社では神楽の定期公演が行われている。
温泉津温泉のある大田市周辺では神楽が盛んで、いくつもの団体があるという。
秋を過ぎるとあちらこちらから、お囃子が聞こえてくるそうだ。
さすが出雲大社のお膝元。

神社に入ると、舞台の前に観覧席が用意されていた。
あらかじめ電話で予約した席は一番前。
舞台と客席の段差はほとんどなく、あまりの近さに期待が膨らむ。

この日の演目はみっつ。
源頼光の鵺退治、恵比寿様の鯛釣り、須佐之男命のヤマタノオロチ退治。

まず目に入るのは絢爛豪華な衣装。
ひとつひとつ手作りで、ものによっては数百万円のものもあるという。
演者は飛んだり跳ねたり、くるくると回転したり、とにかく動きが激しい。
他の神楽も見たことはあったが、ここまで動きが大きいものは初めてだった。
動くたびに衣装に縫い付けられた金や銀の糸がきらめいて、とても美しい。
最前列でじっくり見られて、非常によかった。

しかしながら、最前列だからこそのハプニングもあった。
最後の演目では、大きな龍が何匹も舞台の上を暴れ回る。
そして、舞台はそこまで広くはない。
目の前すれすれを竜の体が通過し、そしてほんの少し、轢かれた。

私の隣に座っていた女性はもう少し強めに轢かれていたが、楽しそうに笑っていた。

観光客向けということもあるのだろうが、石見神楽には客席を巻き込んだ演出がたびたびあった。
けむくじゃらの鵺が客席から飛び出して子どもが泣き出したり、恵比寿様がアメをまいたり、釣り糸をこちらにたらしたり。
会場が一体になり、時折どっと笑いも起きる。

神楽が終わると社中をねぎらい、「御花」と呼ばれるご祝儀を渡す時間が設けられる。
渡すかどうかは任意だそうだが、連れと相談し、「良いものを見せてもらった」という感謝を込めてお渡しすることにした。

神社を出て、温泉街をぶらぶら歩く。
夜も遅いということもあり、空いている店は少なかったが、ノスタルジックなまち並みを見ているだけで十分楽しい。


次回はぜひ明るい時に来て、じっくり歩いてみたい。

山陰旅行その7。に続く。


山陰旅行その5。

2024-10-06 18:00:00 | 旅行
続いての目的地は、石見銀山。

事前に調べておいた情報を元に車を停めて、レンタル自転車を確保。
坂が多いとのことで、電動アシスト付きを選んだ。

まずは一番遠くの目的地、龍源寺間歩に向かう。
間歩、というのは銀の鉱石を採るために掘り進めていったトンネルのこと。
戦国時代から採掘が始まり、無数に掘られた間歩は1000ほどにもなるという。
落盤などの危険もあるので、中に入ることができる場所は貴重だ。

レンタル自転車は非常に快適で、まるで後ろから誰がが押してくれているかのように坂道をのぼる。
アシストがなかったら、途中で諦めて手で押して歩くことになっていたはず。

終点の駐輪場に自転車を止め、しばらく歩く。
やがて間歩の入口と、管理小屋が見えてきた。

ヘルメットを借りてかぶる。
危険性が低いから公開しているのだろうけど、念のため。
きっちり顎紐も留めて、いざ坑道内へ。

入口に立っただけで明らかに涼しい。
冷たい風が吹き出してくる。
夏の坑道内の温度は12〜15℃だそうで、30℃を超える屋外との温度差は大きい。
最初は涼しかったが、だんだん寒くなり、持っていた上着を着込んだ。
私にとって12℃といえば、12月の気温である。

進んでいくと、坑道の壁には鉱夫が掘り進んだノミの後が残り、鉱脈を追いかけて横に掘り進んだ樋追いや、排水のための深い縦坑を見ることができた。
当時は手掘りで進むしかなく、灯りもサザエの貝殻に油を入れたものに火を灯していたという。
私は夜目が効かない方なので、とてもそんな明るさで鉱脈を見分けることはできないだろう。

外に出ると、真夏の暑さが戻ってくる。

間歩の出入口には四ツ留と呼ばれる木組みがある。
坑道が崩れないように留めるものであるが、これは坑道内にも無数に作られた。
そして、銀山の周辺には精錬所や住居もたくさん作られ、大量の木材が使われたことから、この一体はハゲ山になってしまったという。
今回見て歩いたところは完全に森林に覆われ、ハゲ山だった頃の面影はない。
ぼんやりと長い時間の流れを感じた。

自転車置き場へ戻り、帰路に着く。

帰りはほとんどが下り坂なので、アシストはオフにして、ブレーキを握りながら降りていく。
歩いている人も多いので、ぶつからないように慎重に。
数日前に崖下に落ちた人もいる、と聞いたので、とにかくゆっくりを心がけた。

街並みが見える区域まで戻り、自転車を降りた。
返却時間を考えると、ひとつひとつの建物をじっくり散策する時間はなさそうなので、自転車を押したまま、ゆっくり歩く。
銀で栄えた大森のまち。
古い家のほとんどに幕府の直轄地であったことを示す「天領」の行灯が掲げられていた。



途中のお菓子屋さんで「げたのは」というお菓子を試食させてもらい、ひとつ購入した。
見た目に反してそこまで硬くなく、素朴な甘さの焼菓子で、かつて鉱夫も食べていたという。
それなりに口の中の水分が持っていかれるので、ぜひ飲み物と一緒にどうぞ。

お店はこちら↓

最後に、時間の都合で後回しになっていた世界遺産センターを見学して、この日の宿に向かった。

山陰旅行その6。に続く。

山陰旅行その4。

2024-10-04 20:00:00 | 旅行
前日たらふく食べたのに、朝食をぺろりと平らげてしまうのはなぜなのか。
旅行のたびに不思議になる。

3日目はまず、玉造温泉に向かった。
目的は足湯とまち歩き。

温泉街の真ん中に川が流れていて、その川沿いにいくつか足湯がある。
入口の駐車場に車を止めて、奥に向かって歩いていく。



屋根付きの足湯を堪能したあと、今度は露天の足湯に。
幸いなことに天気が良く、風を感じながらくつろごうとわくわくしながら足を入れた。

あれ?熱い?
しかもものすごく熱い。
あくまで私の体感だけれど。
露天なのに全く冷めていない。
5分くらい入っていただけなのに、全身から汗が吹き出した。
空調の効いた室内に入ってからも汗は止まらず、温泉の効能を身をもって知ることになった。

玉造温泉ではもう一箇所、行きたい場所があった。
それは「玉造」の名前の元になった、勾玉を作っている工房。
店に併設されている工房で、職人が黙々と石を磨いている。

島根県のふるさと伝統工芸品に指定されている「出雲めのう細工」。
以前百貨店の催事で見かけて、ずっと気になっていた。
一人の職人が原石の切断から研磨・仕上げまでを手作業で行う。

玉造にある花仙山という場所は、めのうの一大産地で、良質な青めのうが多く産出されていた。
これを出雲石、とも言うそうだ。
青といっても実際は緑色。
古い言葉では、そもそも色を表す言葉が少なく、「緑」は「青」に含まれていたらしい。

せっかくなので、小さな出雲石を使ったペンダントをひとつ購入した。
社長さんが自ら磨いたという逸品で、あえて光沢が控えめなところが気に入った。


山陰旅行その5。に続く。

山陰旅行その3。

2024-10-03 18:00:00 | 旅行
鳥取砂丘を後にして、初日に通った道を逆に西に向かって走る。
青山剛昌ふるさと館に立ち寄ってから、道の駅で牛骨ラーメンをいただいた。
ご当地ラーメンは食べておきたかったので、通り道で出会えたのは嬉しい。
見た目よりもさっぱりしていて美味しかった。
ライスもつけたいところだが、ここで食べすぎると後に響くので、我慢。


そして、次の目的地は足立美術館。

私は美術館で絵画を見て回る、というのがあまり得意ではない。
絵を見るからには、時代背景や作者の生い立ち、影響を受けた画家、使われている技法などなど、そういったものを持ち合わせていなければならない、という思い込みがあるのだ。
連れは「ただぼんやり絵を見ているだけでいいのだ」と諭してくれるのだけれど、ついつい絵ではなく、解説文を必死に目で追ってしまい、すぐに疲れてしまう。

足立美術館を行き先に選んだのは、連れが行きたがったというのもあるが、とにかく庭が綺麗な場所だと聞いたからだ。
昔から「綺麗な庭」というものに憧れがあり、中学生の時も枯山水で有名な龍安寺の縁側でしばらくうっとりしていた。

そして、実際にその場に立ってみて言葉を失った。
一体どれだけ手をかけ続ければ、こんな庭園になるというのか。
涼しい館内から庭を見渡すと、炎天下に剪定や水やりをしている人が見えた。
1年間を通じて絶えず何らかの作業をしており、池の掃除は年3回もしているという。
鯉の泳ぐ池といえば、緑に濁ったものを想像しがちだが、この池は全然違っていた。


そして、ソファに座ってぼんやりしていると、遠くの山に滝が見えた。
しかし、どこか不自然だ。
背面に集水区域となる山並みがなく、谷地形でもない。
モヤモヤしながら解説を読んで納得した。
何故なら人工の滝だから。
つまりあそこまで全部足立美術館の土地ってこと?!

とにかく、いいものを見せてもらった。
その一言に尽きる。

もちろん美術品も見た。
幼い頃かぶり付き見ていた某テレビ番組のおかげで、横山大観は知っていたし、他にも知っている画家の作品がいくつもあった。
とにかく敷地が広いので、ひとつひとつの時間は長く取れなかったが、結果として解説を熟読することができず、その分ちゃんと作品と向き合えたと思う。

この日の泊まりは、少し東に戻って米子の皆生温泉。
欲張ってメインが3つもあるコースにしてしまい、満腹でしばらく動けず。。
どれもとても美味しかった。

山陰旅行4。に続く。