あかりの備忘録

日々の記録やおすすめしたいものを書いていきます。

山陰旅行その1。

2024-09-29 20:00:00 | 旅行
3泊4日で山陰に行くことにした。
廃線の危機にあった出雲便が復活したとのことで、応援の意味もかねて。

久々の飛行機にわくわくしながら待っていると、空港の上空に雷雲がいるので、しばらく待ちますとのアナウンスが…。
外を見れば、横殴りにガラスに打ち付ける大粒の雨。
雨雲レーダーによると、あと1時間くらいは居座りそう。
初っ端から前途多難である。

とはいえ、お天気ばかりはどうにもならない。
待合ロビーでダラダラすること1時間。
ようやく案内のアナウンスが入った。

空港を出発してからはすこぶる順調。
予定所要時間通り、何事もなく出雲縁結び空港に到着した。

この日は移動日だったので、レンタカーに乗り込み、ひたすら東を目指す。
日本海の夕焼けを車窓から眺めつつ、鳥取市街に到着した。

晩御飯は予約していた居酒屋へ。

観光客だもの、ということで名物と思われるものをせっせと頼む。

個人的には赤てん(唐辛子の入った練物)のフライと白イカの刺身が美味しかった。
白イカのゲソはのちに塩焼きになって再登場。
写真を撮るのは忘れたけど、これもまた大変美味だった。

ホテルに戻ってからは、途中のスーパーで買ってきた二十世紀梨をデザートにいただく。
実はこのために十徳ナイフを飛行機に乗せて持ってきたのだ。
(もちろん預ける方の荷物に入れて)
これまた写真は取り忘れたのだが、自宅の近所のスーパーで見る梨とは違って、果皮が黄緑でツヤツヤ。
少し酸味が強くてさっぱりとした味だった。

まずは食を楽しんだ1日目。
山陰旅行その2。へ続く。





アイスは別腹。

2024-09-28 21:00:00 | グルメ
何と背徳的な言葉なのか。
アイスは別腹。

私より一年後に入った後輩が9月末で退職するという。
詳しいことは聞かなかったが、お家の事情で遠方に行くそうだ。
私の実家も、もしも遠方であったなら、似たような道を辿ったのかもしれない。

そういうわけで、ささやかながら仲間うちで送別会を開いた。
居酒屋でしこたま飲んで食べ、駅前まで来て吸い込まれるように店内へ。

全員フルサイズで注文してぺろりと食べ切っていたので、やはり「アイスは別腹」の名前は伊達ではない。
私が食べたのは黒蜜きなこ。
酔っ払うととにかく底抜けに甘いものが食べたくなってしまう。
予想通りの甘さと美味しさで大満足だった。


落ち着いたら遊びに行く、と約束して別れた。
涙はなく、皆笑顔。
きっとまたすぐ会える、そう思うことができた、幸せな夜だった。

【今回伺ったお店】

茶氷、食べ納め。

2024-09-22 20:00:00 | グルメ
6年ほど前から静岡県で始まった茶氷プロジェクト。
県中部を中心にお茶屋さんやカフェが思い思いのお茶を使ったかき氷を出している。
シンプルに抹茶みつをかけたものから、フルーツやアイスクリームを合わせたものまで多岐に渡る。

暑さが苦手な私はここ数年これを楽しみにしている。
しかしながら、今年は暑すぎた。
なかなか外に出る気にならず、とうとう9月末になって、ようやくひとつ食べることができた。

割とシンプルな見た目だが、たっぷりのあんこがのっているのがうれしい。
どっしりと甘いあんこをセルフサービスの水出し茶で中和しつつ、美味しくいただいた。

例年茶氷は9月下旬までの提供だし、急に涼しくなったのできっとこれで食べ納め。
来年は是非ふたつみっつ食べに行きたい。

茶氷はじめました。|Shizuoka Chagori 2024

茶氷はじめました。|Shizuoka Chagori 2024

日本三大銘茶と名高い静岡茶を使ったかき氷のこと。参加店は静岡県全域の製茶問屋やカフェなど61軒で、7月から9月末を中心に登場する。茶葉の種類やレシピのアイデアも個性...

茶氷はじめました。|Shizuoka Chagori 2024

 
【今回伺ったお店】

彼岸と墓参り。

2024-09-21 19:00:00 | 散文
まるで、秋のスイッチが入ったかのように涼しくなった。
暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったもの。
ようやくエアコンなしで眠れそうだ。

実家のプランターに彼岸花の球根が埋まっていて、毎年この時期に花を咲かせる。
家族の誰かが植えたわけでもなく、気がついたら毎年咲くようになった。
どんなに猛暑が続こうが、不思議なことに開花の時期は極めて正確なのだ。

昔は家族と行っていた墓参りも今はひとり。
母が昔のように歩けなくなってからなので、もう5年くらいになる。
花を買って線香を持ち、お盆と年の瀬、お彼岸と祖母の命日に寺に向かう。

行き交う人と挨拶をかわし、掃除をして、花を活け、線香を手向けて手を合わせた。
特別信心深い方ではないが、このときばかかりは妙に落ち着いた気分になる。

故人の冥福を祈るのが本来の姿かもしれないが、私は残されて生きる者の平穏を願う。
時には恨み言もつぶやいてみたりする。
正しくはないかもしれないけれど、私なりの墓参り。

次は年の瀬。
一年の終わりぐらいは母も誘ってみようか。

書きたいもの。

2024-09-17 19:00:00 | 散文
小学生から中学生にかけて、私は割と本を読む子どもだった。
まずは学級文庫を読み尽くし、次は毎日のように図書室に通った。
児童文学に始まり、歴史漫画、推理小説、SF小説などなど。
中学生の時はライトノベルにどっぷり浸かり、日に2冊ほど読んでいた。

そして、時を同じくして始めたことが物語を書くこと。
色々と物語を読んだ結果、自分でも書いてみようと思い立ったわけだ。

最初は百均で買ったノートに鉛筆で。
次はお年玉をつぎ込んで買ったワープロで。
(中学生がワープロを欲しがる、という状況に親は首を傾げていた。)
そして、大学生になってからはパソコンで。

当時開設されたばかりの小説サイトに自分のページを作り、せっせと投稿を始めた。
読者数はわずかだったけれど、だからこそ褒めてくれる人が多くて、にやにやしながらコメントを眺めていた。

とはいえ、楽しい時間は無限に続かない。

大学生の時には無限にも思えた「時間」が社会人になった途端になくなった。
日々新しいことを覚えるのに必死で、いつの間にか書きたいという気持ちがなくなっていた。
書くのをやめて、もう10年以上になる。

それなのに、今頃になって急に書きたくなるというのはどういうことか。
それも昔書いていた物語とは違う、何でもない日々のこと。

年を重ねて、ふと思った。
何者でもない私は、この世界に何も残していない。
つまり、私が死んでしまえばこの世界には何も残らない。
それはとても悲しい。

ついでに言うと少々忘れっぽくなり、楽しかったはずの思い出なのに、細かいところをよく覚えていないことも増えた。

だから、これは忘備録。
いつでも「あの頃」の私を思い出せるように。